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zoom RSS 旅 633 池宮神社(1)

<<   作成日時 : 2017/02/12 19:25   >>

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2016年 5月16日
池宮神社(1)

 白羽神社の後、国道150線に出て、池宮神社に向かった。途中の海岸沿いに中部電力浜岡原子力発電所(浜岡町佐倉・現御前崎市佐倉)がある。
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 浜岡原子力発電所は昭和51年(1976)から1号炉の営業運転を開始した。160万余平方メートル(東西1.5km、南北1km)の広い砂丘のつらなる松林に1号炉は当時の金額で440億円を投資してできあがり、出力54万キロワットで操業を始めた。
 その後、5号炉までできた。(1号炉と2号炉は2009年1月に運転を終了したが、計1165体の使用済み核燃料が保管されている。)

 浜岡原子力発電所は、東海地震の予想震源域のほぼ中央にあり、活断層が直下にあるという説まで発表されており、放射性廃液が漏れる事故なども度々起こし、世界一危険な原発だと言われている。
 浜岡原子力発電所は、中部電力唯一の原子力発電所である。それでも私は、東京電力のように福島県などの他地域に危険な原発を造らないで、管内に造っただけまだマシかなと思う。
 東京電力は管内に適当な広さを確保できる場所がなかったので、他地域に造ったと言うのだろうが、それは嘘で、事故の危険性を知ってのことである。東京電力は受け入れ先の地域にかなりの協力金を出している。本当に安全であるのならその必要はない。その点に関しては中部電力も同様だ。

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震における津波の影響は大きく、福島第一原子力発電所事故で一旦事故が起これば廃炉作業に30年以上かかることが分かり、現在の責任者たちが自分の代では収拾できずに次世代に負の遺産を残す結果となった。現在の廃炉への進捗状況を見る限り、私は40〜50年はかかるだろうと予想する。
 中部電力は浜岡原子力発電所の近くに原子力PR館である「浜岡原子力館」を造り、安全性をアピールしてきたが、安全神話は脆くも津波の中に消えた。

 国道150号線から池宮神社に入る道に、大きな鳥居があった。
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 扁額には「桜ヶ池」とあった。脇の鉄塔は浜岡原子力発電所からの送電線のものだ。
 この鳥居は中部電力からの地域協力金1億2000万円で造られた。下に写る車と比較すると分かるが、高さは21.5mもある。しかし、その巨大な鳥居の上を浜岡原子力発電所からの送電線が覆う。神をも威圧する科学(原子力)の力である。

 この鳥居が建てられたのは、5号炉が建設中だった平成14年(2002)12月で、5号炉建設の見返りとして池宮神社の参道に建立された。その時に、池宮神社の社務所なども建て替えられることになり、工事費は1億8000万円だったという。鳥居を含め3億円のお金を出した中部電力は、池宮神社の何に期待したのであろう。池宮神社の関係者は地元の名士として何かしらの影響力を持っているのであろうか。

 御前崎市は2004年に榛原郡御前崎町と小笠郡浜岡町が合併してできた市である。
中部電力は協力金を御前崎市に出しているのではなく、誘致に協力してくれた浜岡町佐倉にある佐倉対策協議会(通称・佐対協)に出しているのだという。
 そもそも原発が安全なものならば、多額の協力金を出す必要はない。出す側も貰う側も何らかの懸念や不安があるからの結果であろう。
 浜岡原発の立地する佐倉地区にあるこの市民団体(佐対協)には、電源立地交付金や協力金などの名目で過去、幾度となく中部電力から大金が渡されていて、現在でもその資金が10億円を超えると推定される。しかし、その経理責任者も役員の持ち回りで、しっかりした会計報告が佐倉地区に住む市民にも伝えられないという。そんなことから、最近の地元の噂では、使途不明金もありこの資金がかなり減っているのではないかという。

 全くの部外者である私が、確かめることもなく噂を記すことは軽率であるが、住人のための資金なのに、住人たちがその恩恵を感じていないのであれば、つかい方に問題があるのではないかと老婆心で思ったのである。
 しかも今や原発事故は電源立地地区だけの問題ではなく、その周辺の地域にも重大な影響を及ぼすことがわかった。資金は不慮の災害のための防災対策に使われてしかるべきであろう。
 中部電力が出したこれらの資金が、徴収される電気代から出ていることは確かで、必要経費として電気代にのせられているのならば、私は全くの部外者ではない。今は神奈川県に住んでいるが、両親がいなくなった長野の実家の電気代を払っているのは私である。
 日本の電力各社は発送電分離も進まず独占企業として行政に守られる傾向が続いてきた。公共料金としても電気料金は各国の中でかなり高いと言われている。


 大鳥居から2kmほど北へ入ると池宮神社がある。
 境内への入口が2つあり、鳥居が2つあった。
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 一つには「池宮神社」、もう一つには「桜ヶ池」という扁額が掛かっていた。 
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 駐車場に近い「桜ヶ池」の扁額が掛かる鳥居から境内に入った。
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 水野成夫という人の胸像があった。
胸像の台座の後ろに刻まれた文より
『 水野成夫は明治32年佐倉村水野彦次郎・いねの三男として生まれ、佐倉尋常小学校、県立静岡中学、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部仏法科に学ぶ。在学中から社会主義運動に投じると共に、フランス文学の翻訳に才能を発揮し、多くの文士と親交を深める。
 戦前・戦後の困難な社会情勢の中、古紙再生の国策に沿って大日本再生製紙株式会社を創設し、後に国策パルプ工業株式会社との合併により大成させる。更に多くの企業の創業・経営に貢献、日経連・経団連の理事を経て経済同友会の基礎を築き、同会長として財界四天王と称される活動をする。戦後の電力業界再編に深く関わり、中部電力浜岡原子力発電所の創設に寄与した。
 昭和30年代には、文化放送、フジテレビ、産経新聞の社長を歴任し、マスコミ三冠王として文化・学術・芸術の分野で活躍、その間翻訳から随筆に中心を移しながら文筆活動を継続し、産業経済と日本文化の両面に亘る幅広い分野に貢献する。これら中央での活躍と併せ、郷里の学校や神社等への物心両面の支援を通じて、後進の育成と地域文化の向上に寄与する。
 昭和40年浜岡町名誉市民、昭和45年勲一等瑞宝章を受章。
 昭和47年5月4日東京にて逝去、享年72歳。
 ここに郷土の偉人としてその偉業を後世に伝え、青少年の励みとなることを願って、胸像を建立するものである。
 平成13年11月吉日  水野成夫胸像建設委員会  』

 この胸像ができたのは、平成13年(2001)11月だとされる。大鳥居ができたのが、浜岡原発5号炉が建設中だった平成14年(2002)12月だから、同時期と見てよい。
 それにしても水野成夫さんが亡くなったのが昭和47年(1972)だから、約30年後にこの胸像が建設された。当然、協力金の一部がつかわれたのであろう。

 1967年5月末、旧浜岡町の企画課長だった鴨川義郎は、当時町長の河原崎貢らとともに上京し、水野成夫と面会し、浜岡原発誘致について相談した。
 名誉町民の称号を受けていた郷土の重鎮である水野成夫は、
「泥田に金の卵を産む鶴が降りたようなものです。お受けなさい。」とこたえたという。
 水野成夫の助言を得て、町長の河原崎貢、企画課長の鴨川義郎らは誘致を進めた。鴨川義郎は後に浜岡町長になっている。

 中部電力は当初原発建設予定地を三重県の紀勢町と南島町にまたがる芦浜地区に定めて交渉を重ねていたが、地元の反対にあって難航した。
 三重で事態が悪化しつつある中、一方では中部電力は1967年1月には浜岡町町長や有力者に密かに接触しており、5月31日に正式に町長に計画を説明、世間一般には同年7月5日のサンケイ新聞が1面スクープ記事を報じたことで、明るみに出た。
 スクープと共に計画のペースは早められ、佐倉地区での概要説明、予定地範囲内の302名の地主への説明と補償交渉が急テンポで進んでいった。補償額は16億円で地価で見ると当時の関西電力の事例などに比較し数倍の破格値であった。
 交渉は順調に進み、1971年3月には原発建設に着工している。

 町長らが水野成夫に面会したのは1967年5月末で、サンケイ新聞のスクープが出たのが約1ヶ月後の7月5日である。しかも、サンケイ新聞は水野成夫が社長をしていた新聞社である。この1ヶ月余りの間に、水野成夫が蔭で動いたことは確かであろう。だから、“戦後の電力業界再編に深く関わり、中部電力浜岡原子力発電所の創設に寄与した。”と胸像の台座の裏に刻まれているのであろう。そして、5号炉建設に際して改めて水野成夫が顕彰されて胸像建設の運びになったのであろう。
 
 佐対協の杜撰な資金管理が問題になったのであろう、2016年5月10日、立教大学共生社会研究センターは住民組織「佐倉地区対策協議会(佐対協)」代表を務めた旧浜岡町議の自筆メモなどの関連資料を公開した。
 これらの資料には中部電力が佐対協に総額約30億円もの現金を渡していたことが記されている。
 中部電力は東京新聞の取材に対し「地元の振興の手伝いとして協力金を支払うことがある」とコメントした。


 龍のオブジェがあった。
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 これは2009年に浜松市で開催されたモザイカルチャー2009国際博に出展された花と緑の立体アートだという。5年以上も桜ヶ池の前に展示されているので制作者は満足であろう。

 「桜ヶ池とおひつ納め」の説明板があった。
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『 桜ヶ池とおひつ納め
 桜ヶ池は、約二万年前に出来た砂丘堰止湖です。県立自然公園の一環にあり、静岡県の自然百選の森にも選ばれた神秘な原生林に囲まれた県指定名勝地です。
 桜ヶ池のほとりにある池宮神社の祭りに、五穀豊穣を祈るため、秋の彼岸の中日に行われる「おひつ納め」(県指定無形民俗文化財)がある。平安末期、比叡山の名僧皇円阿闍梨が衆生救済の為、龍蛇と化し入定され、池の主神となられた。この霊を高弟の浄土宗開祖法然上人が供養のために檜づくりのおひつに赤飯をつめ、一つは池宮神社に、一つは師の皇円阿闍梨にと、池心に沈めたことから始まり、以来今日まで続いている奇祭で遠州七不思議の一つにあげられている。 』

 遠州七不思議には、他に「夜泣き石」「遠州灘の波の音」「三度栗」「天狗の火」「片葉のアシ」「京丸ボタン」などがあるが、「夜泣き石」は訪ねたことがある。

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 皇円阿闍梨之碑と法然上人之碑と書かれた供養塔のようなものがあった。賽銭箱の龍の彫り物が見事だ。
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 先に池宮神社の社殿を見ようと、池に向かって左側(西側)へ進んだ。池宮神社の鳥居があった。
 ここで気づいたのだが、境内が中で2つに別れているようだ。池に向かって右側が仏教色が濃く、左側が神社色が強い。
 入口に、「池宮神社」と「桜ヶ池」の2つの鳥居があることも意味があるようだ。仏教色が強い方は「桜之宮」と呼ばれていたようである。桜之宮は皇円を祀り、江戸期は桜大明神と称していたが、明治初年に池宮神社と合併したようだ。
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 西側の池宮神社の方にも池に向かって「皇圓阿闍梨大龍神」の拝礼所があった。
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 こちらは、「皇円阿闍梨大龍神」と、龍神に化した皇円阿闍梨だけが祀られ、法然上人は祀られていない。


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 桜ヶ池の奥は原生林かもしれないが、前面はきれいに整備されていて日本庭園のようにも感じる。

現地説明板より
『 「おひつ納め」と「皇円阿闍梨」
 皇円阿闍梨は肥後の国(熊本県)に生まれ、幼くして比叡山で学問・仏法を修行され、後に日本の歴史書「扶桑略記」三十巻を記した。
 皇円上人は悟りの境地を得るため天台の「止観」という方法に基づき、さまざまな難行・苦行を重ねられた。
 しかしながら仏法の極め難きを知り、五十六億七千万年後に出現すると伝えられる弥勒菩薩に会うことを発願された。そして、その弥勒菩薩の教えにより人々を悩みから救うことが出来ると考え、嘉応元年(1169)6月13日(96歳の時)身を龍と化し、この桜ヶ池に入定された。
 おひつ納めは、後に皇円上人の高弟、法然上人(浄土宗開祖)が桜ヶ池を訪れ、師である皇円龍神の安泰と五穀豊穣を祈り、赤飯をつめたおひつを神社に一個、桜ヶ池に一個納めた事に由来する。
 以後、親鸞上人(浄土真宗開祖)、熊谷蓮生坊直実が継承し、以来八百数十年続いている奇祭である。
 また、この桜ヶ池は信州(長野県)諏訪湖と底が続いているとも伝えられている。それはすべての命をはぐくむ水の神様を共に崇め、感謝するという古代人から現在の我々に至るまで心の底が通じていることを象徴している。
 御参拝の皆様も、慈悲深い皇円上人、そして大自然の恵みに合掌して感謝いたしましょう。 』


 お彼岸の中日(秋分の日)に行われる県指定無形民俗文化財の「お櫃納め」(おひつおさめ)の様子を知りたかったので、ネットの動画を調べてみた。
 ふじのくに文化情報センターの「しずおかの民俗芸能」の動画を掲載する。




 「桜ヶ池のお櫃納め」は、御前崎市佐倉の池宮神社の秋の彼岸行事である。神輿が御池東端の御旅所へ渡御すると、氏子青年のふんどし姿の遊泳団員が強飯の入ったお櫃を泳ぎながら池の中央に運び、水面で回転させて一気に水中に押し込み池の底へ沈める。このときお櫃が1つ沈む度に池の端の鐘が撞かれるという。
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 お櫃は直径40cm・高さ28cmの桧製の蒸籠型の器で、鑚火で蒸した赤飯、四升五合(約6kg)をお櫃に固く詰め、御幣を五本ずつ立てる。
 このお櫃は、数日後空になって浮かび上がってくれば池の底に潜む竜神に受納された証しとされ、願いが叶うといわれている。
 この竜神は、平安時代に皇円阿闍梨が、弥勒菩薩の教えにより人々を悩みから救うため、龍に姿を変えて桜ヶ池に潜んだとされ、「お櫃納め」は、この皇円阿闍梨を供養するために始まったと伝えられている。
 この神事に奉仕する団員は、神事の三日前から精進部屋に籠って準備にあたるのだが、その間朝夕に精進井戸と前浜に於いて水を浴び垢離を取るなどの斎戒が行われるそうだ。

 お櫃を奉納するのにはかなり金額がかかりそうだ。毎年、奉納する人が減っているそうだ。毎年お櫃の数も変わるそうだが、80個程度が沈められているというので驚く。

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