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zoom RSS 旅 637 大井神社 (島田市) (1)

<<   作成日時 : 2017/02/19 14:29   >>

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2016年 5月16日
大井神社 (島田市) (1)

 御前崎市、牧之原市、菊川市で数カ所廻った後、島田市へやってきた。今日はこの後、島田市で大井神社に参拝し、次ぎに静岡市の静岡浅間神社に参拝し帰る予定だ。

 大井神社(おおいじんじゃ)は、静岡県島田市大井町にある神社で、国史見在社(日本三代実録)、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。延喜式神名帳に載っていないので、式内社ではない。(神名帳では志太郡条が欠落する)
 大井川の神霊を祀る神社で、東海道島田宿の繁栄と共にあった神社といえる。有名な「島田の帯祭」は当社の祭典である。
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現地由緒書きより
『 御由緒
創建 建治2年(1276) 
当地遷座元禄初年
 大井川鎮護の神として奉斎される
 嘉永7年(1855)7月 勅宣正一位宣下  島田の総氏神
祭典 日本三奇祭  帯祭 3年毎、秋10月執行
    駿州島田 大井神社  』
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 拝殿前に乳児を抱えた夫婦がいた。初宮参りのようだが、たまたま祖母などの付き添い者が離れていたようだ。大井神社は安産に御利益があるので、お礼参りでもあるのだろう。
 
現地石碑より
『 勅宣正一位 大井神社御由緒
御祭神
 弥都波能売神 (みつはのめのかみ)
 波邇夜須比売神 (はにやすひめのかみ)
 天照大神 (あまてらすおおみかみ)
例祭日  10月13日 14日 15日
 大井神社は、貞観7年(865年)授駿河国正六位上から従五位下大井神と三代実録に記載の見える古社である。
 昔、大井川が乱流し、度重なる災害に悩まされた里民は、子孫の繁栄と郷土の発展の為に御守護を祈るべく大井神社を創建した。幾度かの御遷座の後、島田宿が東海道五十三次の要衝として宿場の固まった元禄初年、当地に正式に遷座し、元禄8年より御神幸の神事が始まり、下島(現御仮屋)の旧社地は御旅所と称せられ、日本三奇祭「帯祭」と讃えられるようになった。
 島田宿の氏神として尊崇され、また、大井川川越の公家、大名、一般旅人からも大井川渡渉の安全を祈願する為深く信仰された。
 (神社本庁別表神社)  』
 

 拝殿では祈祷が行われていた。奉仕する巫女さんの後ろ髪に札のようなものが付いているのが面白い。
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 大井神社の巫女さんたちは、当社を知ってもらうためにブログを公開していたという。しかし、2015年7月21日付けで次のようなコメントが出て、ブログが閉鎖された。私は何があったのかは知らない。
『 大井神社巫女さんブログをご覧のみなさまへ
 此の度は当社の巫女さんブログに於いてトラブルを起こしてしまい、誠に申し訳なく存じております。全ての責任は宮司の私にあります。ご不快を抱かれた多くの読者様に衷心よりお詫びを申し上げます。
 これまでそれなりに多くの読者様にご覧を頂き、遠く西は佐賀県、東は福島県からもお越し頂きました。ここに及んで更なる継続を望む有難いお声も頂きましたが、このような事態を引き起こしてしまった以上、「お詫びを申し上げた上でブログ閉鎖という形で反省の意思をお示しする以外、道はあるまい。」という結論に達しました。
 これまでお読み頂きました読者皆様にも、このような形で閉鎖いたします事、誠に申し訳なく、お詫び申し上げます。
 平成27年7月21日  大井神社 宮司 片川 徹  』

 私の旅ブログは神社仏閣が中心である。2012年の九州への旅のブログで、フォロワーになってくれた人がいたようで、毎回ブログ気持玉をくれた。しかし、突然ブログを見てくれなくなったようだ。
 思い当たるのは、私が「神職の人は、神社や祭神についてよく勉強している人がいるが、巫女さんはアルバイトが多く神社等について勉強していない人が多いように感じる。」と書いたことだ。
 ブログでよく神社のことを書くので、そのフォロワーの人は巫女さんだったのかもしれない。他人に失礼がないように気をつけて書いているつもりでも、どこかで誰かを傷つけている場合があるのかもしれない。
 巫女さんブログに於いてどのようなトラブルがあったのかは知らないが、ネットで手軽に情報発信できるようになった今、心ならずも人を傷つけたり不愉快にしてしまうことが往往にしてあると思う。
 私も必要があり自分の過去ブログを読んでみると、思ったより自分の考えや意見を述べていることに驚く。インタラクティブな情報通信ではなく、一方的に発信し、一方的に受信する状態では、説明不足も手伝って真意が伝わらず誤解させることは多い。 が、所詮歴史マニアの気楽なブログだから大仰に構えることもなかろう。
 

 本殿は文久3年(1863)に再建され、懸魚(げぎょ)の内側、破風には手彫りの彫刻が施されているそうだが、通常は参拝することができない。
 神職以外が本殿敷地内に踏み入ることが許されるのは3年に1度、「大祭 帯祭」において拝殿から本殿へ抜ける扉が開かれる時だけだという。
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 境内には、島田帯祭の大奴・鹿島踊りの像や常夜燈籠や先賢碑などもあった。
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説明碑文より
『 大奴像・鹿島踊像 建立記念
 大井神社は大祭も元禄時代より三百有余年私達の祖先の厚い信仰と尊い努力によって伝統が護持され 今日に至りました。今は日本三奇祭「島田の帯祭」と讃えられ安産祈願と共に全国にその名を知られております。ここにこの尊い大祭行列の代表的な姿である大名行列の大奴と鹿島踊の三番叟2体の勇壮華麗な姿をブロンズ像として建立しその美しさを後世に伝えるものであります。 』

 無形民俗文化財が像のような形で残される場合、それがかつての盛栄の証を示すものとなることがある。この像の建立が、静岡県指定無形民俗文化財の「島田の帯祭」の漸次衰退を意味するものでなければいいのだがと思った。
 「島田の帯祭」の主役は40歳以下の壮年の若者たちだという。各地で若者の減少により、従来通りの祭が護持できなくなっているが、これからも島田の若者たちの心意気に期待したい。

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現地説明板より
『 先賢碑
 江戸時代島田宿は度々の水害に見舞われていた。寛永年間の代官長谷川藤兵衛長勝・長春父子二代は私戝をなげうって向谷、横井に水門を設け宮川、中溝川、問屋川を掘り水利をはかり大きな水防工事を成し遂げた。
 又、文化年中桑原藤泰は駿河全域の文化歴史の大要駿河記20巻濱葛籠4巻を執筆完成した。この3人の尊い事績を伝えるため大正13年島田町長置塩藤四郎氏等によって建立された碑文である。 』

 単なる偶然だろうが、この碑の関係者の名に、いずれも藤兵衛、藤泰、藤四郎と「藤」が入っていることが気になる。

 長谷川藤兵衛一族は、長盛の代に徳川家康によって代官に抜擢されて以来、5代にわたり元禄年間にいたるまで代官職を継承した由緒ある家柄だ。その間、大井川の治水や潅漑用水の開鑿を行ったり、川目代をおいて無秩序状態にあった川越人足を統制して旅人の安全を確保するなど、いろいろな業績をあげた。
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現地説明板より
『 常夜燈籠再建について
 大井神社常夜燈籠は江戸時代に建造されましたが、長い歳月を経て風雨による損傷が甚だしく倒壊のおそれもありましたので平成15年2月解体、その後、島田の宮大工佐野覚氏の献身的な精進努力により一年有余ヶ月の時を経て此度竣工いたしました。
 元の常夜燈籠解体に当たり、そのまま利用できる部材は用いることにしました。多くの氏子崇敬者の浄財の献納と共に施工に当たった佐野覚氏はこの造営について建築工法を自ら研究し優秀な技能を駆使して奉仕され斯く見事に完成竣工を見ることができました。
 平成16年5月吉日  大井神社  』

 国宝などの歴史的建造物の修復作業をする宮大工の技術はすばらしいという。その仕事は数百年先を見越して行われるという。そして利用できる部材はそのまま用い、傷んでいる部分だけ補修するのだという。日本の木匠は世界的にも評価が高い。日本は「木の国」でもあった。


 境内摂末社がいくつかあった。
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 大井天満宮の祭神は菅原道真で、京都北野天満宮より分霊を奉斎したという。学問の神様としてだけでなく、農耕の神様としても信仰されている。
 前の神牛は自身の体の不調なところと同じ部分を祈念を込めて撫でれば病も全快するといわれ、また、神牛の頭部を撫でさすれば知恵が付くという信仰がある。
 農耕の神様としても信仰されていることから、菅原道真が祀られる前に他の神が祀られていたのかもしれない。

 天満宮は「天神さま」とも呼ばれる。天満宮に菅原道真が祀られるのは、どんなに早くても道真が亡くなった903年以降である。私はそれ以前に天神として祀られていた神がいたのではないかと考えている。それは農耕に関係する“日の神”で、しかも男神であったのではないかと思われる。
 全国の天満宮には初めから菅原道真が祀られているものもあるが、先に祀られていた天神に被さる形で道真が祀られ、やがて先に祀られていた天神が忘れ去られたものが多いのではないだろうか。
 学者であり官人であった菅原道真は、讃岐などの一部地方の国司として赴任はあったものの、中央以外では知られた存在ではなかったと考えられ、多くの庶民には馴染みのない人物であっただろう。
 10世紀以降に祀られた菅原道真が全国的に祀られるためには、その前段階があったように考えられる。菅原道真の祖先は土師(はじ)氏である。土師氏は出雲の出身であることから、菅原道真が祀られる前に出雲系の神で天神と呼ばれる神が祀られていた可能性が否定できない。
 『駿河国内神名帳』では、志太郡に「大井天神」の神名で記されていることから、天神と呼ばれる神が祀られていたのは古くからであろう。


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 春日神社の祭神は、健御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いわいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)ほか11柱奉斎している。
 漢字表記は若干違うが、春日大社に祀られている4柱を中心に祀っていることが分かる。
例祭は6月第1日曜日と11月8日の鞴(ふいご)祭がある。鞴祭は金山彦命に関わる祭であろう。
 延宝年中(1673〜1681)島田に疫病が蔓延した為、宿人が春日神社の御神霊を奉じて疫病退散を祈った。鹿島踊りはこの時に伝えられた。
 疫病退散を祈るなら祇園社の牛頭天王が然るべきであろう。なぜ春日神社であったのだろう。

 大井神社は元禄2年(1689)現在の社地に遷ってきたが、それ以前に既にここには春日神社をはじめ、竃(こう)神社、須賀神社、祈年神社があったという。
 つまり、後から遷った大井神社がメインになってしまった。この遷座には庶民の信仰が深い大井神を取り込み、勢力拡大を狙った者がいたように思う。恐らくそれは世襲代官である長谷川藤兵衛ではないだろうか。
 長谷川藤兵衛一族は、初代の長谷川藤兵衛長盛から藤兵衛を名告る。
 2代長親、3代長勝、4代長春と続き、5代勝峯のときの元禄5年(1692)に、遠江国川井(袋井市)代官へ転任を命じられる。
 長谷川藤兵衛にとって、大井神社移転が島田における最後の大仕事になったようだ。
 私は世襲名「藤兵衛」の“藤”が気になる。長谷川藤兵衛は藤原氏の末裔だったのではないだろうか。因みに春日社は藤原氏の氏社とされる。


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静霊神社
 静霊神社(しずたまじんじゃ)は、島田市出身の英霊1950余柱を祀っている。「鎮霊神社」とか「護国神社」とかを社名にしないで、静霊神社という名にしたのは静岡県の県名を意識してのことかもしれない。


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 大井恵比寿神社の祭神は、大国主命と事代主命である。
 出雲大社、西宮神社よりそれぞれ分霊を奉斎したという。家庭に福を授ける家内円満の神様として信仰され、11月20日の恵比寿講には大井恵比寿神社のお札を奉斎して各家庭でも大根やなます、鯛などを献じて一家団欒でお祀りをするという。
 恵比寿さんには、蛭児命系と事代主命系がある。ここでは大国主命の子神とされる事代主命を祀っているが、西宮神社から勧請されたのであれば、蛭児命であるはずだが、あまり細かいことは問題にしていないようだ。


 私が一番興味を引かれた境内摂社は、祓戸神社である。
 もとはその下に清らかな御神水の湧く井戸があり、現在では別のところからポンプで汲みあげ使われなくなっている為、清祓いの神様を奉斎したのが祓戸神社である。
現地案内板より
『 大井神社の御神徳と清祓いの神井戸
 大井神社は、大井川の源より駿遠の平野に及ぶ間、六十数社を数え、大井川流域一円の守護の神、国魂と仰がれる水土をつかさどり給う大神をまつる神社である。
 いつきまつる大井大神は、古来生命、生産の守護神として崇敬されただけでなく、殊に穢れを祓い、災いを退ける清めの神、又、火気鎮護の神として尊ばれ、又、女神三神から安産の神として広く信仰されている。
 この井戸は、古来すべての神事に用いられ、その水の霊力をもって湯立の行事等、穢れを祓う神聖な井戸として尊ばれてきたものである。
 この神祠は清め祓いの神をまつる。本社参拝に際し、この神前に詣でて心身の穢れを祓い清める。 』
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 現在の祓戸神社の祭神は、各地の祓戸神社同様、祓戸四柱の神とされる。しかし、本来はこの地域で一番大切な水の女神が祀られていたのであろう。祓戸四柱の神は決して古くからの神ではない。一般的には祓戸四柱は、瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を指す。

 祓戸大神をWikipediaから引用する。
『 祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神である。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味である。
 神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。
 なお、この時に禍津日神、直毘神、少童三神、住吉三神、三貴子(天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。
 「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。
 『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
 速開都比売を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐の禊の際に化成した神に当てることが多い。
 本居宣長は、瀬織津比売を八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売を伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主を神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている。(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)
 『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。 』  

 祓戸四柱の中で、一番水神の神格を持つ神は瀬織津姫である。

 この「清めの神井戸」は、古来より神前に備える浄水を汲んだ神井戸で、古くから病気平癒をはじめ清めの水として信仰されていたという。大井神社がここへ遷ってきたのも、ここに神井戸があったからなのであろう。

 この「清めの神井戸」の神水は、ポンプで汲みあげられ拝殿左前の「双竜の手水」となっている。双竜の名から、男女2体の竜神が祀られていた可能性があるようにも感じる。
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現地説明板より
『 双龍の手水
 大井神社の最も古い信仰は土地生命を護る水神信仰です。この手水は境内地下より汲み上げた清らかな水です。手水をつかいすがすがしい気持ちでご参拝下さい。
 大井神社  』


 境内社の他に、飛地境内社として「鎮水神社」と「御陣屋稲荷神社」がある。

 島田市伊太にある鎮水神社は、河伯神社とも呼ばれ、向谷元町の水神山に祀られる護岸鎮水守護の神だとされる。特に4月3日の例祭は満開の桜に彩られて、昔は近隣より多くの参拝者で賑わったそうだ。そして、鎮水神社の祭神は瀬織津姫神である。瀬織津姫は単なる祓い清めの神ではないことが、ここからも解る。瀬織津姫には桜が似合う。

 島田市柳町にある御陣屋稲荷神社は、通称を悪口稲荷と称し、古来より毎年例祭にはその年の出来事を風刺した戯画の軒灯が付近の民家に掛けられて毎年話題を呼んだそうだ。代官の長谷川藤兵衛が勧請鎮座したと伝えられ、五穀豊穣を祈られたものだといわれる。
 代官の官舎は御陣屋と称されたが、明治期に焼失してしまった。御陣屋稲荷はもと御陣屋の屋敷内にあったもので、1584年(大正2年)の建立という。祭神は倉稲魂命と保食神である。


 鳥居から拝殿・本殿へ真っ直ぐ向かう参道が表参道だと思っていたが、表参道は社殿に向かって左側から入る参道であることが分かった。表参道から境内に入った場合は、大奴・鹿島踊のブロンズ像を過ぎたところで左に直角に曲がって拝殿へ参拝することになる。
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 確かに、表参道の鳥居の方が、正面の鳥居よりも立派である。

 表参道の鳥居の外には、「升形跡」の説明板があった。
『 升形跡(宿西入口)
 宿場の出入口には「見付」と呼ばれた施設がありました。元々は城門の見張り施設のことを言いました。宿場の見付は、上に柵や竹矢来を設けた石垣や土手で、街道に直角や鉤の手に区画したり、または三方をコの字型に囲った升型の見付もありました。
 島田宿の西入口には、川沿いに土手で囲い、東側は正覚寺入口の小路で囲った、例の少ない升形の見付が設けられていました。ここに宿場の番人を置いたという記録はありませんので、宿場の境界として設けられ、本陣の主人や町方の役人が大名行列の送り迎えをした場所だったようです。
 島田市教育委員会  島田宿・金谷宿史跡保存会  』

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