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zoom RSS 旅 652 田村神社(2) (郡山市田村町)

<<   作成日時 : 2017/03/31 10:06   >>

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2016年 6月6日
田村神社(2)(郡山市田村町)

 田村麻呂は大同2年(807)に、京都の清水寺を創建したと伝えられる。田村麻呂は大同元年(806)に、陸奥・出羽に擬任郡司と擬任軍毅を任ずることを願い、認められている。擬任とは当地に行かないで京にいるまま任官することである。
 従って、大同年間(806〜810)には田村麻呂は当地に来ていない。大同年間に泰平寺を創建したのは、田村麻呂の関係者であって田村麻呂自身ではない。恐らく大同2年(807)に、京都の清水寺を創建した関係から、清水寺の関係者が創建に関わっているのではないか。
 田村麻呂は、弘仁2年(811)に亡くなっているが、田村麻呂が創建したという寺社は大同年間(806〜810)に集中している。
 長野県長野市若穂地区の清水寺(せいすいじ)には、田村麻呂が奉納したと伝えられる鍬形(重要文化財)があるが、寺伝によると742年、行基が自刻の観音像を安置し、大同元年(806)坂上田村麻呂により堂宇が再建されたという。

 京都の清水寺の本尊は千手観音で、脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像が祀られているという。田村麻呂は各地に観音堂と毘沙門堂を建立している。 松島にある五大堂の前身も坂上田村麻呂が建てた毘沙門堂だとされる。 

 2014年、清水寺貫主の森清範さんが田村神社を訪問して、記念に桜の木を植えたが、清水寺でも当地で田村麻呂が生まれたという伝説を信じる人がいるようだ。

 田村神社の祭は、旧暦11月3日に例大祭が行われるが、7月の第3土曜日、日曜日に行われる「山中祭り」が盛大だという。かつては旧暦6月13日、6月14日に行われたという。旧鎮守山泰平寺の秘仏である聖観世音菩薩像や大元帥明王像などの開帳が行われることもあるそうだ。

 大元帥明王(だいげんすいみょうおう)は、仏教(特に密教)における尊格である明王の一つとされる。なお、真言密教においては「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、また太元明王と記すこともある。 毘沙門天の眷属である八大夜叉大将の一尊に数えられる。
 大元帥明王は大元帥の名が示すとおり、明王の最高尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」と言われる。
 秋篠寺の大元帥明王像が有名なので写真を載せる。
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 しかし、大元帥明王の日本への伝来は承和7年(840)とされるので、田村麻呂が祀ったのは大元帥明王ではないのではないか。
 大元帥明王や不動明王や毘沙門天は、その土地の先住の神を封じ込めるために祀られた神だったのではないか。

 私は田村麻呂が当地で初めに祀った神があるとすれば、それは大安場古墳に眠るこの地方の王だった人物が祀っていた神ではないかと考える。その土地を治めるには、先ずそこの地主神を祀る必要があった。それはその王の祖神であったかもしれないが、案外阿武隈川の水神だったのではないかと思う。境内から見下ろす田園風景を見ていてフッと思ったことである。


 参拝と見学を終えて石段を下りてくると、役所の人と氏子たちの話し合いはまだ続いていた。
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 まだまだ福島の受難は続いている。この受難を洗い流す(祓い清める)ことができるのは水の女神しかいないのではなかろうか。



 後日、資料を整理していたら、「田村大元神社の概略」というプリントが出てきた。そのプリントから由緒と歴史を載せる。
『 由緒
 社伝によると延暦年間(782〜805)に坂上田村麻呂が征夷大将軍として東夷征伐の途中、磐城国岩瀬郡小山田村今明王壇に国常立命を奉斎し、武運長久を祈願したことに由来するという。
 
 歴史
 永正元年(1504年)田村義顕の三春移城に伴い、守山字中山(郡山田村町)の太元帥明王を三春城三の丸下に移し、領内総鎮守とし、秋田氏時代より総藩社として尊崇された。 神仏混淆から明王様と呼ばれ、神仏分離の後、明治3年大志太山神社、同12年田村大元神社と改称された。
 本殿・拝殿は明治32年の再建、随神門は慶応3年の建造である。昭和3年、拝殿・随神門の屋根を銅板葺きとしてから75年以上が経過した。 』

 ここに 「守山字中山(郡山田村町)の太元帥明王を三春城三の丸下に移し、……」とあるので、この田村神社が三春の田村大元神社の元社であることは間違いない。

 「田村大元神社の概略」のプリントには、宮司 田母野公彦、禰宜 田母野紀彦とあった。自由民権運動家の田母野秀顕と何らかの繋がりがあるのだろうか。
 プリントには「宮司の一日」として、朝拝 大祓詞奏上 神務 諸祭奉仕 神道古典(古事記・日本書記・万葉集など)の勉強 夕拝 大祓詞奏上 とあった。

 田母野さんは神道古典として「古事記」「日本書記」「万葉集」などを勉強しているようだ。記紀の神話には多くの神々が登場し、その神々が多くの神社で祀られている。まるで記紀の神話に登場しない神は日本の神ではないかのようである。その意味では「古事記」「日本書記」は歴史書と言うより宗教書の一面が強い。

 明治初年の国家神道移行に伴う「祭神改め(あらため)」で、記紀神話に登場しない神は排除され祭神が替えられた神社も多い。特に神仏習合が強かった神社はその傾向が強かった。修験道は禁止され、記紀などで市民権を得ていない神々は邪宗・邪教の神として排除された。中には淫教扱いされた神もあった。
 しかし、地方の民が古代から信仰してきた神は、奈良時代の初めに朝廷により書かれた記紀に載る神だけであろうか。朝廷から派遣された日本武尊や坂上田村麻呂と戦ったとされる民たちが祀った神は、記紀に載る神であったのだろうか。否、そうではない事は明らかだ。

 朝廷は記紀を正史とするために、記紀に合わせて日本の神々を改変してきたのは事実だ。それは天皇が政治の世界に復活した明治という時代だけではなく、7世紀後半頃から1400年にわたり、繰り返し行われてきたことである。
 土地に根ざし、活き活きとした信仰に支えられ、明らかに神威を発揮していた神々たちは影に消された。
 地方の神官たちも中央の祭祀方針に逆らえず、祀っていた地主神、産土神、祖神を裏に隠し、表では押しつけられた有名神を祀った。民は見ず知らずの神を拝みながら、その後ろに隠された神に願いを掛けた。しかし、こんなことを1400年も続けてきた結果、神離れが顕著になったことは言うまでもない。仏教も神と離れてから、加持祈祷などその呪厳力を失ない葬式仏教に成り下がった。

 日本人は宗教を持たないと言われて久しい。しかし、日本人は本来神まつりを熱心にやってきた民族だ。旅に出るようになってから、各地に神社や寺院が多いことに驚かされる。小さな社や道祖神や屋敷に祀る祠などを入れると、その数は世界的にも珍しいものだと考える。
 現在の神離れは、土地から離れた神を押しつけられた画一的な神まつりの結果であろう。信仰とは見ず知らずの神を押しつけられたところからは始まらない。

 神社を廻り始めてから、神社の歴史とともに、その神社が古くから守ってきた形式や神事や伝承の中に本来の姿が垣間見えることがある。しかし、それさえも巧妙に仕掛けられたトラップかもしれない。
 信じる神を守ろうとする人が残すものと、改変しようとする人が残すものは、それぞれの強い意志によって受け継がれてきたものなのだろうが、結果的には時系列の中で意図的組織的に活動を続けた改変側の勝利に帰結したところが多い。特に神まつりに関わった人々が滅びたり、その土地を去った場合は言わずもがなである。




休題
 相変わらずブログの更新ペースが遅い。このままでは、また1年遅れになりそうだ。暖かくなり、旅に出る前に昨年の旅のまとめを少しでも多く更新しようと考えているが、思うにまかせない。
 
 今年(2017年)に入ってから、悪いことが重なった。右足の踵の不調、更に右膝の腱のトラブルもあり整形外科にもかかった。それらは昨日テニスに行って、ほぼ8割程度回復したと感じた。他にも腕時計が壊れたり、冬場にかかりにくかったバイクのバッテリーが上がってしまったり、些細なことだが悪いことが続いた。この悪い流れを変えようとバイクからスクーターへ乗り換えた。この中古のスクーターも調子が悪く、買ってすぐ修理に出すことになった。今は調子よく走っているが、400ccのバイクに比べ加速が悪く、小回りするのにも慣れが必要である。このスクーターは250ccなので、車検がない。おそらくこのスクーターが私の二輪の最後になるであろう。
 3月末にはネットが繋がらなくなった。苦心の末、ネットは繋がったが、スピードがかなり遅くなった。Jcomに来てもらって配線の劣化した部品とモデムを交換して貰って、何とか以前と同じくらいの状態に戻ったが、時々不安定になる。
 そして、最悪は子どもの大学受験失敗である。最近は推薦入学で試験なしで進学を決める生徒が多いようで、入試で大学へ入る学生は少ないようだ。そんな中で受験に失敗して浪人する生徒も少ないようだが、我が家では浪人して1年頑張ることになった。
 一番ショックなのは当人だろうが、高校の友人との卒業旅行にも出かけ、3月いっぱいは遊んでいた。親としては心配だが、本人にとっては必要な時間なのかも知れない。

 今日は3月31日で、明日から4月である。近くの桜も開花しはじめた。しかし、我が家の桜の開化は1年先になるという感じで、少し落ち込んだ日々が続いていたが、それらは少しずつ時間が解決してくれること知っている。時の流れは悲しみや苦しみを押し流してくれる効果がある。

 言葉にも言霊があり、時には悲しみや苦しみを和らげてくれることがある。
 ネットで「鈴木姓とキリスト教」を調べていたが、ある本が気になった。それは、「仏教・キリスト教 死に方・生き方」という本である。著者が臨済宗僧侶の玄侑宗久さんと聖心会シスターの鈴木秀子さんで、二人の対談を本にしたものだ。
 ネットで「鈴木姓とキリスト教」を調べていて、著者に鈴木秀子さんの名があったのでヒットしたのだろう。
 私が気になったのは、著者の一人が玄侑宗久さんだからである。玄侑宗久は三春町の福聚寺の住職で芥川賞作家でもある。ブログで福聚寺の記事を書き上げた直後であったから、興味が湧いた。
 アマゾンでこの本を買ったが、中古品が1円で買えて、送料が257円であった。

 この本の帯に、「無駄も偶然もない。すべては、生を深めるためにある。」とあった。
 読み始めると、はじめの方は「死」について書かれていて少し気が滅入ったが、後半は「生」について書かれていて、少し勇気づけられた。
 本の“まえがきにかえて”で、玄侑宗久さんは「どんな宗教でも、深く掘り進むと同じ水脈に通じる」と書いていた。
 本文中で、鈴木秀子さんは、「人生に起こることに無駄はないし、偶然もない。」、「人生には回り道もありません」、「人生にはいろいろなことがあるけれど、どんなことも意味があって起こること。どんな意味があるのかは、今はわからないかもしれないけど、いつかわかるときがくるのです。」と述べていた。

 私の今までの人生を考える時、「無駄」も「回り道」もあり、それらが意味のあることではなく、明らかに無駄であり回り道であったと思っている。
 しかし、「無駄」とか「回り道」とか思うことが既に意味があることなのかも知れない。

 この本によって、落ち込んでいる気持ちが、すこし楽になり前向きになれたことは確かで、言霊(音声言語でも書き言葉でも)の力を実感できた一冊であった。

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