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zoom RSS 旅 663 「一宮巡り」の一つの山を越えて(2)

<<   作成日時 : 2017/05/27 12:34   >>

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「一宮巡り」の一つの山を越えて(2)

5月15日(月)
 早めに出発して、柞原八幡宮と西寒多神社を廻った。これで西海道の一宮は全て廻ったことになる。
 大分川と大野川の流域を少し廻ってから、中津へ向かった。道の駅「新吉富」で泊まろうと考えていたが、手前に道の駅「中津」があったので、そこで泊まった。新しい道の駅であった。夕食は道の駅の隣にラーメン屋があったので、そこで食べた。生ビールが飲めたのが何よりのごちそうだった。


5月16日(火)
 朝起きると、八面山がよく見えた。
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 隣の道の駅「新吉富」の近くに安曇という地名があるのが気になるが、この道の駅「中津」からよく見える八面山の名前も安曇族を連想して気になるところだ。信州の安曇野には八面大王の伝説が残る。
 ( 関連記事 『旅43 安曇野周辺』 )

 薦神社、闇無浜神社などを廻った。2012年の九州への旅で訪れた中津には懐かしさを感じた。中津でスサノオ(牛頭天王)のことが気になったので、山国川を遡るとき牛頭天王公園に寄った。

 山国川を遡り、日田に着いた。途中に2012年の九州への旅で訪れた「青の洞門」などもあり、5年前のことを思い出すと同時に5年間の時の流れがよみがえった。この5年間で2回入院した。親戚や友人の葬儀にもいくつか参列した。

 日田には三隈(みくま)と呼ばれる3つの丘がある。日隈山(亀山公園)、星隈山(星隈公園)、月隈山(月隈公園)である。
 「隈」の字には丘という意味があるそうだ。この3つの丘は、古くは古墳や寺院、城地として利用され、現在は緑地公園や観光地になっている。
 日隈、月隈、星隈のそれぞれの名の由来は、はっきりしたことは分からないが、日・月・星の三光になぞらえて付けられているという。
 日隈山(亀山公園)と、月隈山(月隈公園)は大きいが、星隈山(星隈公園)は小さい。
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 月隈山には丸山城跡があり、山の中腹より人骨が出土し、古代日田地方を治めていたと考えられている古代豪族日下部一族の墓であると考えられている。
 日下部氏は、日神、月神、星神を祀っていたのではないだろうか。私は古代においては日神は男神、月神は女神だったのではないかと考えている。星神はよく分からないが、後世に妙見信仰と習合するものならば男神かもしれない。夜の航海において星が重要だったことを考えれば、海人族が祀った神かもしれない。

 データが古いカーナビが選んだ道は、星隈山(星隈公園)の脇を通る道であった。
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 星隈山(ほしくまさん)は、花月川と三隈川(筑後川上流)の合流地点にある。丘には星隈横穴墓群があり、付近には三郎丸古墳がある。
 ここでも2012年の九州への旅で訪れた小迫辻原(おざこつじばる)遺跡などを思い出した。

 日田からは筑後川に沿って西へ下る。
 恵蘇八幡宮、朝倉橘広庭宮跡、大己貴神社などを廻り、筑後川の河口に近い大川市の風浪宮へやってきた。
 中津から山国川を遡り、日田から筑後川を下れば、途中で見学場所を挟んでも、わずか一日で北九州を横断してしまう。車で走ってみて、その近さに驚く。またジャンクションのある交通の要衝である鳥栖から福岡までは高速道路を使わずとも、意外に近いことも分かり、福岡県が玄界灘から有明海、さらに周防灘に面した一帯を有していることが意味のあることだと分かった。これは兵庫県が瀬戸内海と日本海に面していること同様に古代の行政地域として繋がっていたのであろう。
 筑紫国造磐井もこの地域に君臨した古代豪族であろう。磐井は古くは九州王朝に繋がる豪族だった可能性があるのではないか。
 また、百済救済に出兵する斉明天皇が朝倉に宮を置いたのが遠くて不自然に思っていたが、案外、九州の豪族たちと連絡を取り、それをまとめるのに適当な場所だったようにも思えてきた。

 風浪宮を参拝した後、途中の温泉で疲れを癒し、道の駅「大木」で泊まった。


5月17日(水)
 鳥栖から宝満川沿いに神社を廻りながら北上した。鳥栖周辺は対馬藩(宋氏)の飛び地で、対馬の神まつりの影響や海人族の信仰の影響があるようにも考えられる。
 筑紫神社、竈門神社と廻り、太宰府を通り抜けて糸島市へ向かった。
 糸島市で高祖神社や平原遺跡を見学した。伊キ国歴史博物館は入館料210円で大いに参向になった。関連の資料も買った。
 その後、福岡県飯塚市にある大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)へ行った。
 明日の見学のことを考えて、道の駅「香春」で泊まった。ここも2012年の九州への旅で香春神社を訪れている。


5月18日(木)
 朝食は近くのジョイフルで食べた。古宮八幡宮などを廻った後、九州を離れ一路山口県の土井ヶ浜遺跡へ向かった。
 土井ヶ浜遺跡の「人類学ミュージアム」は入館料200円で、撮影できる展示もあった。入館料が安かったこともあり、書籍を2冊買った。
 土井ヶ浜遺跡の後、国道191号線、国道9号線と乗り継ぎ松江まで行った。平均燃費20km/lで走れる快走路であった。途中、温泉津に寄ったが、温泉には入らなかった。
 松江に着いたときにはすっかり暗くなっていた。道の駅「本庄」で泊まった。


5月19日(金)
 朝起きると、道の駅「本庄」からは中海の先にうっすらと大山が見えた。
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 明けていく空と中海をしばらく見ていた。
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 道の駅「本庄」にはファミリーマートがあり、イートインコーナーもあったので、コーヒーとおにぎりで軽い朝食を済ませた。
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 本庄は弁慶の生誕地という伝承があるようだ。
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 そう言えば同じ島根半島にある鰐淵寺には、武蔵坊弁慶が一夜にして伯耆大山寺から持ち帰ったという鐘があった。


 七類港まで走り、9時のフェリーで島後の西郷港に渡った。
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 七類港にある変わった建物は、『メテオプラザ』といい、隠岐航路のフェリーターミナルだけでなく、アミューズメント施設ともなっているそうだ。
 メテオとは英語で隕石や流星のことで、1992年に近くに落ちた隕石を常設展示したミュージアムでもあるそうだ。この隕石は地球と同じ46億年前に誕生したものと考えられている。
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 隠岐は島から島への移動がすべてフェリーなので大変だ。島後(隠岐の島)から島前の3島へ渡るには大型フェリーを使う。島前の3つ島(西ノ島、中ノ島、知夫里島)の間は小型フェリー「どうぜん」で渡れるのだが、22日まで点検で動いていないので、すべて大型フェリーでの移動となり本数が限られてしまい時間調整が難しい。
 明日の西郷発8:30で菱浦(中ノ島)へ渡り、中ノ島(海士町)で約5時間過ごし、菱浦発15:15で別府(西ノ島町)へ渡り、翌日の別府発10:20で堺港に帰ることにした。結局、知夫里島へ渡るのは諦めた。

 11時25分に西郷へ着いたので、今日は玉若酢命神社、水若酢神社、壇鏡神社、国分寺跡などを廻った。夕食は回転寿司屋で済ませた。アジとイカの生ゲソが美味しかった。トイレがある国分寺跡の駐車場で泊まった。


5月20日(土)
 島後には三大杉がある。杉を見たいとは思わなかったが、昨日、玉若酢命神社で樹齢千数百年という「八百杉」を見た。また、通り道に樹齢600年という「かぶら杉」があったので見た。
 こうなると岩倉の「乳房杉」を見れば、三大杉を全部見ることになる。しかも隠岐の杉は日本の杉のルーツだという。
 8:30のフェリーの出発までには充分時間があるので、見に行くことにした。
 余裕を持って西郷港へ戻り、朝食はパンとコーヒーで済ませた。

 菱浦へは9:40に着いた。5時間の間に、宇受賀命神社、金光寺、隠岐神社、三穂神社、明屋海岸などを廻った。
 菱浦に余裕を持って戻り、乗船手続きをした後、食事した。食べたいと思っていた「岩ガキ」があったので食べた。750円だったので2個食べようかと思ったが、自重して1個にした。
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 笹川流れで岩ガキを食べたことを思い出し、日本海の豊かさを実感した。

 菱浦のフェリー乗り場の建物には、「ないものはない 海士町」というポスターが沢山貼られていた。
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 もちろん二重否定の、「何でもある」という意味なのだろうが、私には「ダメなものはダメ」と同じような意味の「ないものはない」に思えてしまう。

 菱浦(中ノ島)から別府(西ノ島町)へはフェリーで15分で渡れた。西ノ島では黒木御所跡、由良比女神社、摩天崖などを見学した。隠岐の島町で水若酢神社、西ノ島町で由良比女神社に参拝したことで山陰道の一宮巡りは終了した。
 黒木御所跡の駐車場で泊まることにして、近くの食堂で生ビールと地酒を飲んだ。アジの唐揚げが美味しかった。由良比女神社などはイカで有名だから、美味しいイカが食べられると思っていたが、残念ながらイカを食べることはできなかった。


5月21日(日)
 別府10:20発のフェリーで境港へ帰る。最後の訪問地を焼火神社にして出発した。時間的には余裕を持って行動できた。まだ、時間があるので文覚窟に行ってみようとしたが、車では行けない場所であった。
 フェリー乗り場の食堂は9時からだったが、ドンキーという食堂が開いていたのでラーメン定食を食べた。
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 定食のラーメンはジオラーメンにした。塩味のラーメンで、鳥取砂丘の近くで栽培された長芋の上に「あかもく」という海藻で隠岐の4島を形づくったものだという。

 10:20にフェリーは別府(西ノ島町)を出港した。
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 一番高い山が焼火山(452m)だ。文覚窟はその下の海岸辺りにあるのだろうか。
 途中、フェリーは知夫里島に寄った。
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 文覚の墓は、この知夫里島にあると言う。
 知夫里島を10時55分に出発して一路境港に向かう。境港の到着予定時刻は午後1時20分である。
 来居港(知夫里島)が遠ざかっていく。
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 最後に大きく見えるのは、大波加島だろうか。
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 大波加島は大墓島だったのかもしれない。
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 天気がよかったので甲板で隠岐との別れを惜しんだ。



 いよいよ境水道大橋をくぐって、境港へ入港だ。
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 境港から、境水道大橋を渡り、国道431号線を通り松江城に向かった。離島から渡ったりするとカーナビも迷うようで、しばらく現在地を特定するのに時間がかかる。
 隠岐に渡る前に泊まった道の駅「本庄」の前を通り、松江市街も渋滞することなく松江城に着いた。
 これで国宝の5城を廻り終えた。国宝5城とは、松本城犬山城彦根城、姫路城、松江城である。

 松江城が国宝に指定されたのは2015年(平成27年)で、国内の城跡で天守が国宝に指定されるのは63年ぶり5件目であった。松山市は国宝指定に向けて懸賞金を掛けて史料を探していたが、平成24年に松江神社で国宝指定に重要な築城時期を特定できる「慶長拾六年正月吉祥日」などと書かれた祈祷札が見つかったことが決め手になった。

 国宝5城の他に現存天守を持つ城は、弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の7城である。
 7城のうち4城は四国にある。城そのものにそれほど興味がないこともあり、昨年の秋に四国を訪れたが、観たのは宇和島城だけだった。
 現存天守を持つ7城を廻ったら、城と城址のリンクページでも作ろうかとも考えた。

 松江城見学の後、一つだけ神社を廻って帰った。妻の仕事の関係で明日までに横須賀へ帰らなければならない。そうでなければ出雲で2〜3日神社巡りをしたいのだが……。
 最後に寄った神社は売布神社である。売布神社に参拝した後、カーナビで自宅を選択して走り出した。
 カーナビは、米子自動車道、中国自動車道と乗り継いで、吹田ジャンクションへ向かう道を選択した。蒜山高原SAで食事して給油もした。車も私も満腹になったので元気に走り出した。途中で宝塚辺りから先の渋滞情報が出ていたことと、少し暗くなってきたので赤松PAで泊まることにした。夜の高速道路の運転は眠くなるので避けたい。
 駐車場は私と同じに時間調整するトラックの群れで半分埋め尽くされていた。


5月22日(月)
 朝、明るくなり始めたので出発した。大阪を順調に通過して新名神高速道路を軽快に走った。私のカーナビはデータが古くて他の道路を指示したが、標識は伊勢湾岸道が新東名高速道路に繋がっていることを示していたのでそのまま直進した。
 岡崎辺りのSAで朝食を食べ給油もした。またも車も私も満腹になったので一路横須賀まで元気に走った。旅の疲れはそれほど感じていなかったが、安全のため2時間に1度休憩を挟み、コーヒーなどを飲んで余裕を持って走った。
 昼前には横須賀に戻り、衣笠インターを降りた後、自宅に戻らずテニスコートへ向かった。毎週月曜日と木曜日にテニスをしている。
 旅に出かける前に餞別として栄養ドリンクをくれたMさんにお土産の隠岐の焼酎を渡した。見ているだけでは済まないで、ラケットを借りてテニスをしたが、はじめの2試合は散々だった。2週間以上テニスをやってないことよりも、借りたラケットが私には合わなかったのが原因だろう。家に帰ってからは、シャワーを浴びてテレビを見ながらくつろいだ。


 今回の旅で、離島の一宮を全て廻ったので、一宮巡りの大きな山を越えることができたように感じる。西海道と山陰道の一宮巡りが終わったからでもある。
 本来なら一宮は66+2で68社廻ればよいはずだが、一宮そのものがしっかりした制度ではないから、現在、全国一宮会なるものに登録されている神社は96社ある。私もそれに沿って参拝しているわけだが、大社もあれば慎ましやかな社もある。神社ガールなどによる一宮巡りの流行により、神職が常駐していない社はなくなったようだが、少し前までは御朱印をもらうためにあらかじめ予約しておく必要がある神社も少なくなかったようだ。もっとも私は御朱印を集めていないので関係はない。
 隠岐の水若酢神社の宮司さんなどは、いつ御朱印を求めて参拝者が来るか分からないので、冬以外はなかなか社務所を空けられないと言っていた。最近も「ここが一の宮巡りの最後です。」という参拝者が来たと言う。私が訪れた日も団体がバスで訪れ、事前に予約はあったようだが対応に追われていた。

 残りの一宮は、東海道が4社、東山道が3社、北陸道が1社、山陽道が2社、南海道が3社で、畿内は7社すべてを残している。今回までの旅で、みちのく、西海道、山陰道は廻り終わった。
 あと2〜3年で廻り終われるように計画を立て、楽しみながら廻りたい。


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