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zoom RSS 旅 668 大前神社(1)

<<   作成日時 : 2017/06/10 10:54   >>

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2016年 6月7日

大前神社(1)

 桜町陣屋跡を見学した後、大前神社(おおさきじんじゃ)へ行った。大前神社は栃木県真岡市東郷にある式内社で、旧社格は県社。
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現地案内板より
『 御祭神
 大国主神(だいこく様)
 事代主神(えびす様)
 天照大神
由緒
 神護景雲元年(767)に再建されたと伝わる延喜式内社で、古くは平将門が戦勝祈願をし、二宮尊徳翁は当社に篭もり大前堰を改修し、潅漑事業を完成させるなど大きな功績を残した。
 当社の神様のお使いは「鯉」であり、例大祭は11月9日・10日。両日とも大大神楽が奉奏される。栃木県指定文化財の本殿・拝殿には藤田孫平治や島村円哲などの名工が手掛けた数々の彫刻が見られる。龍・犀・虎・獅子・貘・鷹など様々な動物や御祭神と関係深い因幡の白兎、鯉に乗る琴高仙人をはじめとする12の仙人など、社殿を巡りぜひご覧頂きたい。
 日本一のえびす様は平成元年12月に建立された。  』


 駐車場へ車を駐めると、脇からの参拝になる。境内を通って表参道の第一鳥居まで行って、そこから参拝することにした。
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 この二の鳥居は東日本大震災により被害を受け、県内の杉材にて再建されたものだという。 前の二の鳥居は明治23年(1890)に造られた花崗岩神明造りのものだったという。


 参道の右手には五行川が流れていて、そこに二宮尊徳の監督のもとに修築した大前堰がある。桜町領3ヶ村付近を潤す穴川用水は、大前神社脇で五行川から取水した一大用水で、尊徳が修築、付近4000ヘクタールの命水となった。
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 五行川の近くに二宮神社があった。
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現地説明板より
『 大前二宮神社
 当大前二宮神社は、先生の偉業起点である大前堰と穴川用水口を一望できる良処を選び、鎮座したお宮です。平成21年11月16日諒闇の中、桜町二宮神社からご分霊を勧請した。
 この本殿は「桜町陣屋」隣接地に先生の神霊を奉斎した、第二代目の御殿です。
 ご神徳は、広大に行き渡り、五穀豊穣と恵みの水・川の安全長久をお守りくださいます。 
御手洗川と神使の鯉
 五行川は、昔から大前神社の御手洗川と称せられます。本宮は神護景雲元年(767)にご造替され、五行川の恵みで神苑の森を育みました。この御手洗川には「神使の鯉」が群生し、桜や紅葉が四季の季節を川面に映してきました。その為、神社では古来からこの神使の鯉を一切口にいたしません。
 栃木県文化財指定のご本殿と拝殿には、「雌雄の鯉」を始め、「琴高仙人(鯉に乗る)」や「鯉が登竜門を超えて龍になる」構図の絵が在ります。是非ともご高覧ください。

平将門公と大前堰下の勤行川
 平将門、天慶2年(939)常陸国を皮切に、下野国次いで上野国・武蔵国・相模国を領有する。この時、当社戦勝祈願参拝の折、御手洗川の五行川大前堰で禊・潔斎の行を厳修した。
 この言われから、大前堰の下流を「勤行川」と記し、「ごぎょうがわ」と同称する。この時、堰下の一の鳥居前に、記念樹の「欅」を植栽した。現在の欅は二代目。 』


 二宮尊徳は大前堰や穴川用水を修築・再建したとされる。つまり、以前からここには大前堰があり、穴川用水もあったようだ。

 大前神社が鎮座する「大前(おおさき)」は、古代の口伝に「神代の霊地」と伝わる。大前という由来は、神地境内隣接の北地にかつて「芳賀沼」が存在し、その大突端に位置することから大前(崎)神社と称されたものだという。水に関わる聖地に対する古代からの信仰があり、後にそこに神社が祀られたのであろう。
 治水のための神社を祀ったのは渡来系の氏族だったかもしれない。水田開発のための大規模な土木工事の技術は渡来人が持っていた。五行川周辺は古代の郡衙跡や古墳が散在する場所でもある。(芳賀郡衙跡・鶏塚古墳など)
 二宮金治郎が少年時代苦労した元凶は、酒匂川の洪水による田畑の流失であった。金治郎は用水の有用性と治水の重要性を人一倍分かっていて、そのための勉学にも励んでいたようだ。金治郎が大前堰改修、穴川用水再建に際して当社の禊所に篭もり祈願したのは、当社が水神を祀っていたからに外ならない。


 平将門が「平将門の乱(承平天慶の乱)」を起こす際に、当社にて戦勝祈願をしたと伝わる。将門は「新皇」を自称し東国の独立を謀ったとして朝敵となり討伐された武士であるが、関東では将門を討ち取った藤原秀郷(俵藤太)よりも将門の方が人気が高く、英雄視されることが多い。
 将門は戦勝祈願のとき、当社の隣に流れる「五行川」の御手洗にて勤行を行ったとされる。勤行(ごんぎょう)とは、仏教用語で、仏前で時を定めて読経や供養をする事だという。大前神社は明治初年に神仏分離されるまでは大前権現とも称され、神仏習合が強い神社であった。
 将門が勤行を行ったことから、五行川の下流域を「勤行川(ごんぎょうがわ)」と称するようになり、現在でも下流域の茨城県では五行川を勤行川と表記している地域が多いという。


 なぜ将門は人気があり、なぜ将門は祟るのかについては、次のビデオを参考にしていただきたい。

日本最強の怨霊 平将門 なぜそんなに祟るのか




その時歴史が動いた もう一つの日本を創った男 〜平将門 東国独立政権の謎〜 1/4


その時歴史が動いた もう一つの日本を創った男 〜平将門 東国独立政権の謎〜2/4


その時歴史が動いた もう一つの日本を創った男 〜平将門 東国独立政権の謎〜 3/4


その時歴史が動いた もう一つの日本を創った男 〜平将門 東国独立政権の謎〜 4/4







現地説明板より
『 五行川の姿と恵
五行川の姿
 さくら市氏家町長久保天神神社前を源流とし、高根沢町・芳賀町・真岡市を流れ、筑西市下館で小貝川に至る利根川水系の川です。
 全長は53.7km、流域面積は279平方キロメートルあります。

五行川の名称
 上流部は鬼怒川の伏流水が長久保で湧き出します。かつて鬼怒川が東流して広げた沖積地を南下し、井沼川・冷子川・大沼川・野元川を合わせた5つの川からなることから五行川と称されるとも言われます。
 「五行」とは、中国根本思想である「陰陽五行説」を言い、東西南北と中央の方位と春夏秋冬と土用の季節を表す「木・火・土・金・水」の5つの働きの元を表すことから、四季の変化と恵みに溢れることに因み「五行川」と称されました。又、平将門が935年に合戦勝利の祈願を大前神社にかけ、御手洗(みたらし)大前堰で行ったことから、下流域を勤行川と称されます。

五行川の恵
 五行川は全域にわたって広い水田を潤し、栃木県内きっての穀倉地帯を形成しています。お米を中心に、冬期は麦と全国一のイチゴ栽培の中心地を形成しています。

五行川流域の主な用水整備の歴史
 市の堀用水
 鬼怒川の塩谷町佐貫頭首口から取水し、さくら市氏家町から高根沢東部、芳賀町・真岡市に至る延長42kmの水田の水源用水路です。当初は、正保3年(1646)から明暦2年(1656)までの10年を要し、延べ10万人を越える人力で完成したものです。特に奥平織部と山崎半蔵氏の功績は顕著です。現存の用水は、昭和37年(1962)に完成したものです。
 穴川用水
 二宮尊徳先生の遺跡である大前神社の大前堰を基点とし、二宮町物部地区を経て、筑西市奥田で小貝川に流れます。古来あった大前堰(元禄絵図記載)を二宮先生が文政10年(1827)に着工しました。現存の姿は昭和38年に完成したものです。

太平洋からの使者・鮭たち
 五行川は太平洋の千葉県銚子港から利根川を上り、茨城県利根町で小貝川に分かれ、筑西市から五行川にいたります。平成15年秋に大前堰までの150kmに及ぶ長い水流を遡って親鮭が帰ってきました。市民組織NPO法人鮭守の会が結成され、真岡市を始め真岡土木事務所・真岡警察署などの支援を受け、親鮭の特別採捕から、受精作業、孵化・育成活動を行い、毎年3月第一日曜日に放流式と五行川鮭っ子壮行会を開催しています。4年後太平洋の海原で育った鮭たちが母なる川に再び姿を現します。
 五行川流域の私たちに勇気と希望を伝える大切な使者なのです。

大前堰の伝承
 大前堰の人柱
 大前神社の参道に平行して南流する五行川は、流域の農地に潅漑用水を提供する大切な存在です。むかし大前堰はたびたび流され、ここに頼る村人たちは困り果てていました。そこへセキという名の女性が神に祈願をし、五行川に身を投げて人柱となりました。その後、大前堰は流されなくなりました。そのセキの霊を祀ったのが大前権現だといわれています。また、この堰を「乳垂の堰」といい、川上から流れてきて、この堰にひっかかった野菜を産婦に食べさせると、母乳がよく出るようになったといいます。
 大前さんの鯉
 むかしから五行川のコイは釣ってはならないとされてきました。ある時、下館藩の侍が、魚屋で買い求めたコイを家に持って帰り、料理をしようとそのコイに庖丁を入れたところ、血が流れ出て「大前権現様」という文字になりました。さては知らぬこととはいえ、神境のコイであったかと、その侍は権現様にお詫びするために大前神社を訪ね、神官と共に拝礼しました。それから毎年、その侍は参拝を欠かさなかったといいます。  』
 
 ついに私が思っていた通り、大前神社には人柱になったセキという女性が祀られているという伝承があり、水の女神との関連が出てきた。セキとは「堰」のことであろう。しかも、「神に祈願をして五行川に身を投げた」などというきれい事ではないであろう。人柱とは字の如く、人を工事に使う柱に縛り付けて生き埋めにすることだ。そして人柱になるのは女性と相場が決まっている。航海などで海が荒れたとき海神の怒りを鎮めるために身を投げるのも女性だったようだ。
 “生け贄”という言葉があるように、神の中には心願成就のためには命を含め多くを欲しがる神がいたようだ。やがて生け贄は人ではなく鹿や猪などの動物になっていったのであろう。
 かつて例大祭には、「頭(とう)」と唱え、猪鹿の頭を供えた故事が伝えられており、神饌には鹿肉と鹿頭を献じたという。現在も、例大祭では鹿肉が神饌として供えられる。
 
 太古には古墳に生口を埋めたという伝承がつたわる。(殉死の風習) それを土偶に代えたのが埴輪を考案した土師氏の祖である野見宿禰だとされるが、考古学では埴輪と殉死との関連はないとされている。
 『魏志倭人伝』には「卑弥呼以って死す。大いに冢を作る。径百歩。殉葬者奴婢百人余り。」とある。
 生け贄と殉死は意味合いが違うことは確かだが、命を捧げるという点においては大差ないようにも感じる。


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 三の鳥居は総欅造りで高さは約6m、典型的な両部鳥居である。濃厚な神仏習合の遺構ともいえる。享和2年(1802)に建立されたものが現存しており、江戸時代の木製鳥居としては栃木県内最大のもので県指定文化財となっている。建立後2度の修繕を受けている。
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  四の鳥居を入ると拝殿が目の前にある。
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現地説明板より
『 大前神社拝殿 (栃木県指定有形文化財)
 三間三面 入母屋造り千鳥破風付 銅板葺 向拝一間軒唐破風付
 拝殿は元禄の初め(1688)に完成したと伝えられている。入母屋造り、平入りで正面に千鳥破風、向拝に軒唐破風を設けており、背後には凸字形に幣殿を供えている。正面の向拝は三斗組で龍の彫物を用い、唐獅子の木鼻をつけ、向拝軒唐破風には鳳凰の懸魚をさげている。幣殿天井には四季献花の絵が、拝殿内天井には龍3頭が、拝殿外天井には鯉3尾と四神図が描かれている。本殿と同様、彫刻などに江戸時代の特徴がよくあらわれている。(昭和52年7月29日指定) 』
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 この極彩色の龍の彫刻は見事だ。
 この拝殿は元禄元年(1688年)に再建された物だという。宝永4年(1707)に本殿や拝殿の全面改修がなされ、棟梁の藤田孫平治の下に彫刻師の島村円哲ら名工による現存する彫刻と彩色が完成したとされる。
 これらの彫刻のデザイン設計施工は棟梁の藤田孫平治、工匠の島村円哲たちによりなされた。この人たちは5年後、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も手掛けた。
 多くの彫刻を手掛けた島村円哲(円鉄)は有名な左甚五郎の直系で、江戸彫工の島田家初代俊元の長男で元禄から享保にかけて活躍した名人だそうだ。
 宝暦12年(1762)には本殿・拝殿の彩色大修繕と、屋根葺替工事が棟梁の磯辺儀左ェ門信秀らにより行われた。
 磯辺儀左ヱ門信秀は、鹿島市の屋台彫刻を始め足利など県北・県南西の社寺と彫刻屋台の初代棟梁だという。
 その後も数回の修繕を経て、この社殿は維持されてきた。
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現地説明板より
『 大前神社本殿 (栃木県指定有形文化財)
 三間社入母屋造り 向拝付 銅板葺
 大前神社の由緒は神護景雲年間(767〜769)に再建されたと云われ、延喜式撰上の由緒ある神社である。現在の社殿は文禄2年(1593)の再建といわれる。その後、数回修理が行われ、中でも宝永の大修理で現存の彫刻類が出現した。藤田孫平治棟梁の下、島村円哲らの名工による。
 本殿は三間社で向拝がついており、随所に唐獅子・龍・象・きりん等の霊獣彫刻が施されている。特に琴高仙人を始め神仙思想の彫刻が12ヶ所あり、全国一の仙人絵彫刻がある。御殿全体に彩色塗装が多く施され、その様式も和様と唐様の折衷式で江戸時代初期の特徴がよくあらわれている。(昭和40年4月6日指定) 』
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現地説明板より
『 延喜式内大前神社ご本殿
 この本殿は、桃山時代末期文禄2年(1593年)に建てられました。
 見事な彫刻の数々は、宝永4年(1707年)名工 藤田孫平治を棟梁として彫られたものです。このあと、藤田孫平治は、成田山新勝寺の三重塔の彫刻も担当されました。
 本殿の回りは火防の意味を込めて水神である24の龍頭が、陰陽和合の形態で神様をお守りしています。
 本殿東側壁の上部には、当社ご祭神の使いである鯉にちなみ、「鯉に乗る仙人」「玄武を司る仙人」等、北側には、「香を楽しむ仙人」「薬の仙人」等、西側には、大国様恵比寿様にちなみ、「因幡の白兎」「魂を生む仙人」「雅楽を奏する仙人」等々の華麗な彫刻が彫られています。 』
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 鯉に乗った琴高仙人は中国の仙人で琴の名手だという。
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 大前神社の本殿・拝殿の建築様式の特徴は、東照宮に代表される近世初期の権現造に準ずる複合型社殿形式だとされる。

 神楽殿があった。
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 この神楽殿は文政8年(1825)に造営されたもので、文政10年(1827)には二宮金治郎(後の二宮尊徳)が大前堰を洗堰に改修しているので、その頃に建てられたということになる。
 金治郎は1843年に御普請役格で幕府に登用され、真岡、東郷陣屋の代官手代となり、1848年に桜町陣屋から東郷陣屋に移った。大前神社の近くには二宮尊徳が1848年(嘉永元年)から8年間居住した東郷陣屋跡があるというが、ただ跡というだけで整備されているわけではないようだ。


 本殿の後ろには境内摂末社がいくつもあった。
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 神輿殿と荒神社が一緒になっているようだ。何処も夏祭りのスターはスサノオが多い。

現地説明板より
『 荒神社
御祭神 須佐之男命   
本社神輿 荒宮神輿 若宮神輿 祭礼7月21日
 「真岡市夏祭・荒神祭」の中心である三大神輿を奉安しています。
 真岡市では、毎年7月21日に荒神社例祭と真岡市夏祭始祭を斎行し、続く金・土・日の3日間、本社から神輿渡御が開始され、真岡城東御旅所まで神幸します。中2日間市内渡御と各町会山車屋台の奉曳、中日に五行川の川渡御と大花火大会、お祭広場勢揃いがあります。最終日には、みや通りに神輿と山車屋台が揃い、宮入献灯の祭事と渡御行列を整え、本社に還御します。
 須佐之男命は、八岐大蛇退治が有名な三貴子の一神で、大年神(歳神様)・宇迦之御魂神(稲荷様)・大国主神などの父神です。
 全国の八坂神社や祇園社・八雲社・須賀社の御祭神でもあります。
 御神徳 疫病災禍除け・五穀豊穣   』


 天満宮があった。祭神は菅原道真である。
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 稲荷神社と琴平神社があった。
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 大物主大國魂神社があった。
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現地説明板より
『 大物主大國魂神社
御祭神 大物主神 大國魂神 祭礼10月10日
 本社の主祭神であります福神様・大国主神の別魂(わけみたま)であります大物主神・大國魂神を奉斎の摂社です。ご神縁あらたかであることから、あらゆる結びつきを顕顕する縁結びの社として信仰されています。
 本社を始め境内社並びに管内神社ご造営の際は、造営期間中、神様たちがお遷りする特別なお社となります。
 御神徳 縁結び 幸結び   』

 皇大神宮があった。
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現地説明板より
『 皇大神宮
御祭神 天照大御神 豊宇気毘賣神  例祭10月17日
 伊勢神宮では、20年毎に御社殿を新調する。式年遷宮が行われています。平成25年の第62回式年遷宮を記念し、第60回造営時の用材にて、当社を造営しました。
 覆屋は大前神社神苑森林の檜材を用いました。
 天照大御神は、八百万の神々の頂点に立つ太陽神で、皇室の祖神です。日本全国総氏神として皇大神宮内宮御正殿に鎮まります。
 豊宇気毘賣神は、皇大神宮外宮に坐し、天照大御神の食事を司る穀物と食事の神です。天照大御神が雄略天皇へ神託し、伊勢の地に呼び寄せ鎮座されました。
 天照大御神御神徳 生命力向上・新生再生守護
豊宇気毘賣神御神徳 農業漁業諸産業守護・料理守護  』

 説明文に、「第60回造営時の用材にて、当社を造営しました。」とあるが、第61回の用材は、解体した直後であるからまだ使えなっかったのだろう。第60回造営時の用材といえば、40年前の用材ということになるが、用材としてはまだまだ流用可能なほど新しい。伊勢神宮では用材を各地の神社に下賜している。リサイクル、リユースされていることはエコではあるが、20年ごとの式年遷宮そのものが経済的ではない。
 20年ごとの式年遷宮の理由はいろいろ言われている。中には宮大工の技術継承のために20年ごとの建て替えが必要だというものがあるが、「神明造り」そのものは単純な構造で、それほど宮大工の技術継承のための必要性はないように感じる。人間の都合ではなく神の要求であろう。神は常に新しいものを欲する。太古は祭礼毎に式場を作り、終われば取り壊していた。 

 記紀の神話と明治以降の国家神道に日本の八百万の神は翻弄されてきた。この天照大御神と豊宇気毘賣神も本来の姿から変質させられていることは、神社巡りを始めてからかなり理解できてきた。カギは伊勢の伊勢神宮や日本海側の出雲大社など、奈良の大神神社(大物主神を祀る)や石上神宮など、九州では宇佐神宮などに隠されているように感じている。
 これらの神社や全国の一宮を全部廻ったら、自分なりの日本の神まつりについての考えをまとめてみたいと思っている。

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