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zoom RSS 旅 750 吉備津彦神社 (1)

<<   作成日時 : 2018/02/07 19:50   >>

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2016年 8月22日
吉備津彦神社 (1)

 備前国の一の宮である石上布都魂神社の後、もう一つの備前国の一の宮である吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)へ行った。

 吉備津彦神社は、岡山県岡山市北区一宮にある神社で、備前国一宮とされる。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。別称を「朝日の宮(あさひのみや)」ともいう。
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  標識に、吉備津彦神社、吉備津神社の他に黒住教本部とか藤原成親遺跡、福田海があるが、これらについても後に触れる。
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 この地図は下が北になっているので注意しなければならない。(赤い○は私が付けた。)

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 正面参道から鳥居をくぐり、神池の中央を横切っての参拝になる。
 神池の左側には、亀島と五色島があり、亀島には亀島神社(市寸島比売命)があり、五色島には環状列石(古代祭祀場)があった。
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 亀島の回りには本当に亀が多かった。
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 亀島から随神門を撮った。
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 神池の右側には鶴島があり、鶴島神社(島神社)があった。
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 鶴島神社の祭神は住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と神功皇后である。

 神池を渡ると随神門(岡山市指定文化財)がある。
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 随神門の前の道で、秋季例祭のとき流鏑馬神事(岡山市指定重要無形民俗文化財)が行われるようだ。この道は県道700号だという。つまり県道が本社敷地内を横断しているということだ。境内を生活道路が横断している例はこれまでよく見たが、県道が横断しているというのは初めてのことである。

 随神門を入ると左右に石造大燈籠(岡山市指定文化財)があった。
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現地説明板より
『 安政の大石灯籠
 この大灯籠は、六段造り、高さ11m、笠石は八畳敷の広さがあり、まさに日本一といわれている。
 文政13年と安政4年の二度にわたり、地元有志が発起し、天下泰平、国家安全万民豊楽、五穀成就などを念願して、備前一円、浅口郡を中心に広い地域で寄進を募り、奉納されたものである。
 石に彫られた寄付者名は、実に1670余名で、5676両(約1億3千余万円相当)の浄財が寄せられている。
 ちなみに、完成した年は江戸幕府がアメリカのハリスと日米通商条約を結んだ年にあたっている。
 平成11年(西暦1999年)12月建之  郷土史家黒住秀雄顕彰会  』



現地説明板より
『 御祭神
主神 
 大吉備津彦命(第7代孝霊天皇の第三皇子・別名 彦五十狭斧彦命(ひこいさせりひこのみこと))

相神
 孝霊天皇・孝元天皇・開化天皇・崇神天皇・彦刺肩別命・天足彦国押人命・大倭迹々日百襲比売命・大倭迹々日稚屋比売命・金山彦大神・大山咋大神

由緒
 古代より当社背後の吉備の中山には巨大な磐座(神が鎮座する岩)・磐境(神域を示す巨石群)が有り、山全体が神の山として崇敬されてきた。
 主祭神は大吉備津彦命。命は四道将軍の一人(西道将軍)として山陽道に遣わされ「温羅(うら)」という鬼神を退治し、吉備国を平定・統治し、現人神として崇められた。御年281歳で薨去され、吉備の中山の南嶺に御陵(茶臼山古墳)を定め葬り奉っている。
 仁明天皇承和10年(843)10月24日一品(いっぽん)爵位を贈送され、一品宮とも一品吉備津彦大明神とも呼ばれ、吉備国が備前・備中・備後・美作に別れると備前国一宮として崇敬された。
 当社(備前国一宮 岡山市北区一宮   吉備津彦神社)
     (備中国一宮 岡山市北区吉備津  吉備津神社 )
    (備後国一宮 広島県福山市新市町 吉備津神社 )
 中世には武家や庶民の信仰が厚かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿がことごとく焼かれた。江戸時代に入ると岡山藩主池田氏は崇敬厚く、延宝5年(1677)に300石の社領を寄進、元禄10年(1697)には綱政公によって社殿が再建された。昭和3年(1928)11月10日国弊小社に列せられた。昭和5年(1930)、不慮の火災で御本殿、隋神門を除いて焼失、現在の社殿は昭和11年(1936)の再建である。
 神宝類は多く、池田綱政奉納の井上眞改作の太刀一振りは“国指定重要文化財”である。“岡山県指定重要文化財”は御本殿・紙本淡彩神事絵巻(室町時代)など、“岡山市指定重要文化財”は隋神門・中門・子安神社御本殿・安政の大石燈籠がある。

祭典
 御田植祭(岡山県指定重要無形民俗文化財)
  8月2日  御本殿祭(田舞)・御斗代神事
  8月3日 御本殿祭(田舞)・御幡献納祭
 秋季例祭
  10月第三土曜日 宵宮
    翌 日曜日 御本殿祭・流鏑馬神事(岡山市指定重要無形民俗文化財)

子安神社(岡山市指定重要文化財)
 古より祀られる子安神社を慶長14年(1609)池田照直が光政誕生を祝って新築し、寛文12年(1672)健康が優れなかった藩主池田光政の平穏祈願のため、生母の福生院が祈願したところ光政の病気が全快した。健康祈願、家内安全、子授成就、安産祈願で有名である。
 ※5月5日(こどもの日)鯉のぼりを多数あげ、子供神楽など催す。

安政の大石燈籠(岡山市指定文化財)
 高さ11m、六段づくり、笠石の大きさは八畳敷。文政13年から安政4年(1830〜1857)にかけて地元有志が発起人となり、天下泰平・国家安全・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願し、備前一円と浅口郡の合計1670余人から5676両の寄付が寄せられ、安政6年(1859)に完成した。各段には寄進者の名前が刻まれている。幅広い信仰の証である。 』

 この説明文の相神の一行が、テープが貼られて消されていた。気になったので当社のホームページを見てみたら、消された一行は、「吉備津彦命 大吉備津彦命の御子、稚武吉備津彦命」であるようだ。稚武吉備津彦命は、大吉備津彦命の子とも弟ともいわれ、はっきりしない。
 なお、相神と大吉備津彦命との関係は以下の通りである。
孝霊天皇 大吉備津日子命の父、第7代天皇
孝元天皇 大吉備津日子命の兄弟、第8代天皇
開化天皇 孝元天皇の御子、第9代天皇
崇神天皇 開化天皇の御子、第10代天皇
彦刺肩別命 大吉備津日子命の実兄
天足彦國押人命 大吉備津彦命の親族、第5代孝昭天皇の御子
大倭迹々日百襲比賣命 大吉備津彦命の姉
大倭迹々日稚屋比賣命 大吉備津日子命の妹

 それにしても、吉備の中山を挟んで同じ岡山市北区に吉備津彦神社(備前国一宮)と吉備津神社(備中国一宮)があるのは違和感を感じる。あまりに両社が近いので、間違えられないように、名前を「吉備津彦神社」と「吉備津神社」としたのだろうが、本来は両社とも「吉備津神社」だったのではないだろうか。
 吉備中山が備前国と備中国の境目であったということになるが、吉備津神社(備中国一宮)の本殿・拝殿は国宝に指定されているので、行くのが楽しみだ。両社を訪れてから、この2つの神社の違いを比べてみたい。


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 拝殿を横から見た。
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 拝殿の後に祭文殿があり、更に後方に渡殿があり、瑞垣に囲まれた本殿へと続く。
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 拝殿に着いたのは朝の7時頃だったが、朝のお勤めの時間なのか、太鼓の音が鳴り響き、その調子の良さに聞き惚れてしまった。
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 お勤めが終わって出てきた神職の人に、太鼓がすばらしかった事を告げると、「吉備では太鼓が叩けないと神主は出来ません。」と言われた。吉備津彦のことを訊くと、「吉備津彦は一人ではなくて、大和から次々と何人もの吉備津彦が派遣されたのではないかと考えている。」と答えた。いろいろ質問した訳ではないが、熱心に語ってくれる神職の方で、大分長い時間会話をしたように感じた。参拝者も何人か訪れ、そのうちの一人が御朱印帳を出して御朱印をお願いしたので、朝早いこともあり神職の方は○時頃に社務所に来るように言って去っていった。
 少し後に私は参拝の栞を頂こうと社務所を訪れインターホンを鳴らしたが応答がなかった。食事中だったのかもしれない。インターホンにはカメラが付いていたので、先ほど長く話した参拝者が、また何か聞きに来たのかと敬遠されたのかもしれない。栞は諦めて境内を廻った。
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現地説明板より
『 岡山県指定重要文化財 吉備津彦神社本殿 昭和43年4月19日指定
 この神社は、社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くから備前国の一宮として崇敬を集めてきました。16世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われましたが、元禄10年(1697)に再建されました。しかし、昭和5年、本殿・随神門・宝物殿を残して焼失し、現在の拝殿等は、昭和11年に建てられたものです。
 「本殿」は、桁行三間・梁間二間、屋根は、流造り・檜皮葺の流麗な建築です。元禄時代の建立で、県指定重要文化財となっています。
 このほか、「子安神社社殿」(市指定重要文化財)、「神事絵巻」(県指定重要文化財)や、毎年8月におこなわれる「御田植祭」(県指定重要無形民俗文化財)、10月の「流鏑馬神事」(市指定重要無形民俗文化財)等が貴重な文化財として広く知られています。
 平成20年3月  岡山市教育委員会  』

 説明文に、「この神社は、社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、……」とあるが、一般には「吉備津彦命」といえば主祭神の大吉備津彦命の方を指すようだ。


 御垣内四隅に末社が祀られている。本殿左側に尺御崎神社、岩山神社、楽御崎神社が祀られ、本殿右側には尺御崎神社、楽御崎神社が祀られている。
 右側の2社だけ写真を撮った。
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 御垣内には楽御崎神社(らくおんざきじんじゃ)が2社、尺御崎神社(しゃくおんざきじんじゃ)が2社あるが、祭神は異なる。
 本殿の右側の楽御崎神社の祭神は楽々森彦(ささもりひこ)命で、左側の楽御崎神社の祭神は楽々与理彦(ささよりひこ)命である。
 本殿右側の尺御崎神社の祭神は夜目山主(やめやまぬし)命で、左側の尺御崎神社の祭神は夜目麿(やめまろ)命である。
 この4神は大吉備津彦命の平定に従ったと伝えられる。また、岩山神社の祭神は建日方別命(中山主神とも)で、 伊邪那岐命・伊邪那美命の子(国産みでの吉備児島)とされる。


 境内は広い。まず社殿に向かって右側から回ることにした。
 天満宮があった。
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現地説明板より
『 天満宮
御祭神 菅原道真公
例祭日 9月25日
 菅原道真公(贈太政大臣正一位朝臣)は延喜元年(901年)大宰府に赴く道中当社に立ち寄られたという由縁があり、学問の太祖として当社境内にも天満神社が建てられていました。
 今でもその由緒にちなみ吉備中山の麓には「一宮 字 天満平」という地名が残っています。社殿の老朽化により明治42年以降は境内末社に合祀されていましたが、平成17年11月此所に再建されました。 』

 菅原道真は藤原氏の謀略により大宰府に流された。従って道真は初めは祟り神として祀られた。朝廷や藤原氏にとっては恐ろしい存在であっただろうが、庶民にとっては道真は馴染みのある存在ではなかった。その菅原道真は平安時代中頃から天神様として、全国に祀られていく事実があるが、なぜだろう。私は菅原道真が土師氏出身だったからではないかと考えている。土師氏は出雲出身である。出雲で連想されるのはスサノオと大国主命である。国譲りを強要された大国主命は祟り神であったとも言われる。また、本来の天神はスサノオだったという説もある。
 右大臣ではあっが、都や国司であった讃岐以外では、庶民にとって全国的に知名度が低かった菅原道真が、全国的に祀られるようになった陰には、スサノオや大国主命の影響があったのではないか。菅原道真にかこつけてスサノオや大国主命の祭祀が復活した可能性があると考えられる。また、現在菅原道真が祀られている場所では、それ以前に出雲神が祀られていたのではないだろうか。
 “天満平”という地名も、菅原道真以前からあったのかもしれない。


 天満宮の上に子安神社(岡山市指定重要文化財)があった。
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現地説明板より
『 摂社 子安神社
御祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命・木花佐久夜姫命・玉依姫命
例祭日  3月7日
子安大祭 5月5日
 子安神社は古来 縁結び・子授け・安産育児・家庭円満の神として信仰が厚いお社です。
 慶長年間、岡山藩備前監国の池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、祈願後たちまち名君と仰がれた光政公の誕生をみたことは有名な話です。
 子安神社の神符、お守りは授与所にて頒布いたしております。  』

『 岡山市指定重要文化財 子安神社社殿  昭和49年4月11日指定
 子安神社は、吉備津彦神社の摂社であり、元禄10年(1697)に再建された現在の吉備津彦神社本殿よりも、古い建物である。
 「吉備津彦神社社記」などによれば、晩年の池田光政は健康がすぐれず、その健康祈願のため、娘の六姫が発願し、光政の生母福照院の手によって、寛文12年(1672)7月備前一宮の境内に建立された。
 本殿は、桁行一間、梁間一間、檜皮葺で流造りの屋根の前後に延びたゆるみない曲線、五七桐や蟇股の形状、高欄柱の擬宝珠の姿などに、なお桃山朝の様式を残している。外装に丹や胡粉を塗るなど、全体を華麗な社殿に仕上げている。
 拝殿は、桁行三間、梁間二間、入母屋造り銅板葺の建物で、正面には「子安宮」と金文字で書いた神号額が掲げられている。
 平成22年3月  岡山市教育委員会  』
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 子安神社の右側には社殿群が並んでいた。
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 左から下宮(倭比売命)、伊勢宮(天照大神)、幸神社(猿田彦命)、鯉喰神社(楽々森彦荒魂)、矢喰神社(吉備津彦命御矢)、坂樹神社(句々廼馳神)、祓神社(祓戸神)。

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