旅 940 2019年 5月末~6月初めの旅 概要(3)

2019年 5月末~6月初めの旅 概要(3)

5月25日(土)

 身延町から大城川を遡って、安倍峠を越えて静岡県に入った。安倍峠の名でも分かるが、ここは安倍川の源流である。
 安倍峠は標高1416mの静岡県と山梨県の県境に位置する。富士川水系の分水嶺にあたり、静岡市を流域とする一級河川「安倍川」の水源地でもある。
画像

画像

 安倍峠からも富士山が見えた。
画像

 安倍峠を越えて静岡県側に入ると、静岡の奥座敷とも呼ばれる梅ヶ島温泉があった。
画像

画像

 安倍川沿いに少し下ると、黄金の里PAがあり黄金の湯があった。この名は、この周辺に金山があったことから名付けられた。
画像

 朝から精力的に走り廻りまともな食事をしていなかったので、ここで昼食を食べた。
画像

 大盛りの山菜そばだけでは足りず、駿河シャモの卵をかけた卵かけご飯も食べた。

 黄金の里PAの展示に「日影沢金山跡」の写真があった。
画像

説明文より
『 日影沢金山跡
 日影沢金山跡は、主に今川氏の金山として有名で、享禄年間(1528~1532)には大量の金を産出しました。
 今川・武田・徳川の三代に渡って金山として掘られ、江戸時代慶長年間(1596~1615)には、その金で鋳造した小判「慶長小判」「駿河小判」が造られました。武田信玄の時代には、安倍峠を越えて金を山梨に運んだとも言われています。 』

 安倍金山の中でも日影沢金山は名高い。家康が後藤庄三郎に製作させた駿河大判は、この地でとれた金によって鋳造されたものといわれる。
 また、安倍川の支流の一つである中河内川に沿って遡ると大日峠があるが、この峠を越えると大井川奥の秘境「井川」の地に着く。井川は南アルプスの登山口で、昭和32年に井川ダムが完成したが、ここにもかつてはいくつかの金山があり、特に笹山金山は産額が大きく、慶長の大判・小判の鋳造に当てられたとも言われる。


 黄金の里PAから安倍川沿いに県道29号線(梅ヶ島街道)を南下し、玉機橋で右折して県道27号線(安倍街道)へ入った。そのまま県道27号線(安倍街道)で大日峠を越えようとしたが、途中で通行止めの標示が出ていたので、県道189号線で冨士見峠を越えて井川ダムに出ることになった。 
画像

 今日は安倍峠を越えて、富士川流域から安倍川流域に入り、冨士見峠を越えて安倍川流域から大井川流域に入ることになった。

 井川ダムによってできた人造湖である井川湖は大きい。そしてその上流の大井川の源流は、大きく山梨県に食い込み、山を越えた東側は早川の源流であり、そこに奈良田がある。 そして、金山があったのは、安倍川の上流や大井川の上流だけでなく、早川の上流である奈良田周辺にも小さな金山があったようなのだ。

画像

画像

画像

 慰霊碑があったが、ダム工事で亡くなった人のものであろうか。
画像


 これ以上上流へ大井川を遡り源流を訪ねるのは、道が心配なので諦めて、井川ダムから大井川を下ってみた。
 道は狭く車のすれ違いが困難な場所もある。恐れていた対向車があり、狭い道で端によけて停まったが対向車は運転に自信がないようで進んでこない。しょうがないので私が進んだ。すれ違うときドアミラーをたたんで、相手の車にもドアミラーをたたむように指示を出した。
 私の車は軽なので何とかすれ違うことができたが、私の車の後ろに付いていた普通車はどうしたのかを気にしながら下った。

 歴史をテーマに旅に出ることを決めたとき、狭い道や山道を走ることを前提に4WDの軽自動車を買ったが、しばらくは軽自動車での旅が続きそうである。旅が一段落したら、普通車に乗り換えようと考えているが、その日が来るのが楽しみでもあり寂しくもある。

 大井川を下っていくと、長島ダムがあった。
画像

 大井川には上流にいくつもダムがあるようだ。最近の多くのダムは多目的ダムで、大井川のダムもそうなのだろうが、始めは治水目的で造られたのであろう。


 テニスの仲間に石油関係の会社で働いていた人がいて、和歌山県の石油会社から横浜に出向している人が何人もいたという。その人たちが、盆や正月に故郷へ帰るのに東名高速を利用するのだが、静岡県を通過するのに永く運転しなければならずウンザリするのだという。静岡県が東西に長いという認識は多くの人が持っているようだ。

 静岡県は東西日本文化の接点で“回廊性”の文化を持っているという人がいるが、新幹線の東京~新大阪間の13の駅のうち県内には4駅あり、江戸時代の東海道五十三次のうち22の宿駅が県内にあった。この東西の流れは古代から現在まで静岡県内に様々な痕跡を残している。
 
 しかし、静岡県の東西の長さは約153kmあるが、南北にも115kmあることを知る人は意外に少ない。
画像

 その南北に長い理由の一つが、大井川の源流が大きく山梨県・長野県に食い込んでいることである。
 静岡県は、西から天竜川、大井川、安倍川、富士川が南流する。天竜川の源流は長野県の諏訪湖であり、富士川の源流も山梨県に求められるが、大井川と安倍川の源流は静岡県がカバーする。
 全国のいくつかの県境をみると、川の源流をカバーするように定められているものがあるが、この大井川の源流が静岡県に取り込まれているのはその典型でもある。治水も含め流域をカバーすることは大切なこともある。

 天竜川、大井川、安倍川、富士川は、いずれも静岡県にとって重要な川であるが、特に大井川は静岡県内で完結するという意味では特徴的な川であるように感じる。

 
 2016年5月、静岡県島田市大井町にある大井神社を訪れた時、現在の祭神が、弥都波能売神(みつはのめのかみ)、波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)、天照大神の3柱であることに違和感を感じた。

 大井神社の神はその名の通り、大井川鎮護の神として奉斎されている神で水の女神であると言われている。
 
 大井川上流の榛原郡(はいばらぐん)川根本町から河口の吉田町にいたるまでに「大井」という名のついた神社が61もあり、多くの神社が主神として水神を祀っていた。
 榛原郡の町は島田市などに合併されたものが多く、現在は榛原郡は川根本町と吉田町だけのようだ。

 大井神社のブログから引用する。
『 大井神社ってひとつじゃないの?(大井神社は大井川の神様)
 大井神社が祀られるのは島田だけではありません。実は大井川流域、またはかつて流れのおよんだ地域を中心に、四十数社の大井神社が祀られています。
 昔は七十数社あったものが、ほかの神社と統合(合祀という)されて現在の数になったのだそうです。限られた地域に、川と同じ名前の神社がこれほど多く祀られるのは全国的にも非常に珍しいのだそうです。
 これらの大井神社の中に、村の中で一番川上、または川寄りに祀られている(または、祀られていた)祭祀形態を取るところが数社見られます。(伊太、神座、渡島、家山、徳山、田代、大沢-現在は山の中腹に遷座)
 島田の町並みが大井川近くに広がって、本社がさらに大井川近くにお遷しされたことは前述の通りですが、江戸時代までは大井神社はそういう祀り方をするのが一般的だったのかも知れません。
 当社をはじめ、東の焼津市中里に至る志太平野側にある大井神社には東向きに(大井川の方角を向いて拝む)お祀りされる例が多く見られます。 』


 島田の大井神社は、大井川の上流・川根本町大沢から流着したという伝承を持ち、大井神社はしばしば氾濫する大井川沿を中心に74社あったといわれ(現在46社)土地を守り、子孫繁栄を祈ったのが最初と考えられている。

 つまり、この大井川には地主神として水の女神の根強い信仰があったと考えられる。そして、そのいくつかの大井神社の祭神に瀬織津姫の名が見られる。
 大井川の上流の井川ダムのある静岡市葵区井川にある井川神社の祭神も瀬織津姫であるという。井川ダムに井川水神社があったが、その祭神も瀬織津姫かもしれない。更に井川ダムによってできた人造湖の井川湖の少し上流の静岡市葵区井田代にある大井神社の祭神も瀬織津姫である。ここまで上流に来れば秘境といってもよい。


 このあと、大井川を下るが、2~3の大井神社に寄ってみる。

 榛原郡川根本町千頭(せんず)にある敬満大井神社に寄った。
画像

 この神社は敬満神社と大井神社が合祀されたようだ。祭神は、伊弉冉尊、天児屋根命、日本武尊、瀬織津姫命である。

 敬満大井神社に上る坂の手前に「秋葉常夜灯」があった。
画像

現地説明板より
『 町指定文化財(建造物) 秋葉常夜灯(千頭)
 平成17年3月23日 指定
 創建は詳らかではないが、江戸時代末期慶応元年(1865)、秋葉山信仰の象徴として造建されたものといわれている。
 最初は寺馬区にあったが、その後千頭西区に移築された。
 本体は寄棟造りの精巧華美な造りである。
 先人達の優洽なる遺制を継承し、屋字の修理と上屋の新築を成就し、平成18年2月、千頭三区区民一同が、此処 川根本町千頭沢屋に再建した。
  川根本町教育委員会  』

 浅学にして、“優洽(ゆうこう)”という言葉を知らなかったので、調べたら「仁徳や教化等が遍く行き渡る」という意味らしい。「洽」には「あまねく」という意味があるようだ。 

 静岡県は前述した通り、東西日本文化の接点で“回廊性”の文化を持っているとされるが、東西日本文化の接点というのは、西日本に大阪、東日本に江戸が栄えてからの特色で、それ以前の古代においては天竜川、大井川、安倍川、富士川を通じて、北の山岳文化と南の海洋文化との接点でもあった時代があるのだろう。塩もこの道で運ばれた。秋葉山本宮秋葉神社もこのルート上にある。



 地名の大井神社にも寄ったが、ここは探すのに時間がかかった。道を歩く人も少ないので、取り敢えず大井川鉄道の「地名」駅へ行ってみた。
画像

 ちょうど車で帰ってきた老夫婦がいたので訊いて、だいたいの場所が分かったが、このあと2回ほど訊いてやっと辿りついた。
画像

 この神社の祭神は、瀬織津姫命、速須佐之男命、蛭児命、大山咋命、大雀命、誉田別尊である。

 神社の上り口に阿弥陀堂があり、赤い旗が出ていた。
画像

 今日は庚申講の日で、集まりがあるようだ。古い習慣が未だに受け継がれていることに少し驚いた。
画像


 元の道に戻ろうとして踏切にさしかかると大井川鉄道の電車が走って行ったので写真を撮った。
画像

 大井川鉄道は休日にSLが走ると聞いたが、今も走っているのだろうか。

 もう一つ大井神社を探して走り廻ったが見つからなかった。

 車中泊は道の駅「川根温泉」でした。駐車場がいっぱいで混んでいることが分かったので、しばらく車の中で今日のまとめと明日の計画を立て、駐車場が空いてきてから温泉に入った。
 温泉に入ってから、閉館まで畳の上で手足を伸ばしてくつろいだ。既に食堂は閉まっていた。ビールを飲もうとして自動販売機をみたらアサヒスーパードライがなかったので、久しぶりにサッポロ黒ラベルを飲んだ。



5月26日(日)

 5時前には起きて、大井川を下り、島田市阪本にある敬満神社へ向かった。昨日、敬満大井神社に参拝したので、敬満神社にも寄りたかった。
画像

 この神社の主神は敬満神で、配祀神にも合祀神にも瀬織津姫の名はなかった。
 社殿の後ろには茶畑が広がっていた。
画像

画像




 高速道路にのるために走り出してすぐコンビニがあったので寄ったが、棚に商品がほとんどない状態だった。貼り紙を見ると、ちょうど今日で閉店であった。
画像

 新規開店するコンビニもあれば、このように閉店するコンビニもある。新規開店したコンビニには立ち会ったことがあるが、このように今日で閉店するコンビニに立ち会うことは初めてなので考えさせられることがあった。

 旅人にはコンビニは欠かせない存在であるが、人口減少に転じた日本社会において経済も縮小していくのであろうから、当然これから閉店に追い込まれるコンビニも増えるのであろう。既に人員確保できず24時間営業が難しくなっているコンビニも多いと聞くし、朝霧高原で見た新しいセブンイレブンは看板の色が変わっていたので、既に24時間営業ではないセブンイレブンもあるのかもしれない。
 当初のセブンイレブンが、名前のとおり7時~11時であったように、コンビニの24時間営業が当たり前ではない時代がそこまでやってきているのだろうか。
 永遠に続くものなどなく、全ては諸行無常の世界であるが、昭和、平成、令和と便利さを追い求め、それに慣れてきた自分にとっては寂しい限りである。


 
 高速道路で移動して富士ICでおりた。
 曽我寺で曽我兄弟の墓に参った後、曽我八幡、五郎首洗い井戸を見学し、白糸の滝に向かった。
 白糸の滝を見学する前に、工藤祐経の墓に参り、曽我八幡宮にも行った。曽我八幡宮の近くには曽我兄弟の墓があった。曽我兄弟の墓や供養塔は縁のある場所にいくつもあるようだ。

 白糸の滝には何度か来たことがあるが、今回車を駐めた駐車場はいつもの駐車場と違って、滝に向かって左側から下るコースであった。このコースは歩いたことがないので、頼朝ゆかりの「お鬢(びん)水」を見ることができた。
画像

画像




 白糸の滝を見た後、冨士宮市小泉の久遠寺へ行った。
画像

 これで、大石寺、北山本門寺、妙蓮寺、西山本門寺、小泉久遠寺の“富士五山”をすべて廻ることができた。

 次に、沼津市の原まで走って、松蔭寺で白隠禅師の墓に参った。
 西富士道路と東名の富士ICが重なる辺りで渋滞していて閉口した。
画像

 松蔭寺の裏にはJR東海道本線が通っているが、松蔭寺の前には旧東海道が通っていたようだ。
 『 駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠 』と称されるが、白隠禅師は日本一の富士山と並べられて称されるほどの名僧であったという。その白隠の師のひとりが、長野県飯山にある正受庵に住んでいた正受老人であった。
 
    2019年 5月末~6月初めの旅 概要(4)へ

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック